薄煕来

薄煕来

(一般)
はくきらい

薄煕来は中華人民共和国の政治家。現在、終身刑で服役中である。日本では「新左派」の一員をする見方が強いが、中国では民主右派分子を代表する政治家であるとされていた。

中華人民共和国建国直前の1949年7月3日、薄一波の次男として北平市(現在の北京市)で生まれる。文化大革命の際、父の失脚に伴って投獄。(公式には「学習班」としての労働)

1980年に中国共産党に入党し、父の復権とともに出世、1982年に党中央書記処研究室に配属され、党中央弁公庁幹部となる。

1992年8月、大連市党委副書記兼市長代理となり、翌年3月、大連市長に昇格。同月、第8期全国人民代表大会遼寧省代表(議員)に選出。以後、第9期(1998年 - 2003年)・第10期(2003年 - 2008年)と全人代遼寧省代表として再選される。

2007年10月の第17回党大会で中央委員に再選され、党中央政治局委員に昇格した。同年11月30日、重慶市党委書記に任命される。12月29日、商務部長を退任。2008年3月、第11期全人代重慶市代表に選出される。

大連では「改革開放」を推進し、また、日本企業の中国進出にも、協力的であった。日本とのパイプが深いこともあり、重慶でも経済発展を実現させた一方、「反腐敗運動」「打黒(闇社会撲滅)運動」を行い、格差拡大やマフィアとの癒着に関する当局の責任を糾弾、暴力団との関係が深った元司法局長を死刑にするなど、過激な改革路線を推し進めたため、重慶に「独立王国」を築こうとしたのではないか、という危惧を中央に持たれることになった。

外交・思想面では、反日デモには否定的な見解を示す一方で、毛沢東をたたえて保守派を懐柔するなど、巧みな戦略を打ち立てた。このことが、彼の失脚を送られた遠因となった、という見方もある。

しかし、2011年の英国人男性変死事件について、薄煕来が関与した疑いが欧米のメディアから指摘され、2012年2月には腹心の王立軍がアメリカの総領事館に亡命、翌月、全人代に出席しようとした薄は、不逮捕特権があるにもかかわらず、党中央の指示により、正式な逮捕の手続きを得ないまま拘束された。(これは『中華人民共和国憲法』に違反する)

この「違法逮捕」のあと、さらに、収賄や「不適切な女性関係」を理由に薄煕来を起訴する保身を、党中央はまとめた。最終的に、4月に重慶市の書記と人民代表を解任され、9月に中国共産党を除名、10月には全人代より除名されて不逮捕特権を失った。同月に収賄と職権乱用、公金横領の罪で逮捕される。(憲法上は、共産党除名以後も全人代から除名されるまでは不逮捕特権はあったが、実際にはすでに共産党によって軟禁下に置かれていた)

2013年7月に起訴され、8月が裁判が開廷、薄煕来は、検察から拷問や脅迫があったことを明かし、無罪を主張したが、9月にすべての罪で終身刑判決が下り、薄煕来の主張は全く認められなかった。薄煕来は上訴したが、10月に収賄罪の一部を除くほか、薄煕来の主張はすべて却下され、有罪が確定した。

2013年11月には、新公民運動(政府に憲法遵守を求める中国の市民運動)団体「中国至憲党」から「終身主席」の称号を与えられ、支持者が服役中の薄煕来に伝えるよう当局に申請したが、受理されたかは不明。

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