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畠山満家

一般

畠山満家

はたけやまみついえ

畠山満家(1372年〜1433年)は南北朝室町時代守護大名管領。畠山基国の子。弟に満則(満慶)がいる。

応永の乱で武功を挙げるも、足利義満に嫌われ、弟満慶に家督を譲らされるも、義満の死後、満慶は家督と領国を全て兄満家に譲り、満家は領国のうち、能登国を満慶に残す。

1410年から1412年と1421年から1429年の両度管領を務め、幕政に重きを置く。

足利義持最晩年に義持が赤松氏の家督に介入した時には、満済とともに嫡流の赤松満祐を擁護し、赤松持貞を失脚させる。

義持死去後、後継をくじで決める時に、八幡宮石清水八幡宮という説と京都市に現存する若宮八幡宮という説がある)でくじを引いたのが満家である。

足利義教の時代には山名時煕と並んで義教の諮問をたびたび受けている。しばしば義教の姿勢に反対し、義教を抑制する立場であったが、1433年に死去後、抑制役を失った義教政権は義教自身の精神疾患の悪化もあって、次第に凶暴化し、迷走していくことになる。