版籍奉還(はんせきほうかん)
1869年、全国の各藩主がその土地と人民を朝廷に返還したこと。1868年に江戸幕府の解体により成立した明治新政府よる中央集権強化のための改革で、新政府樹立に貢献した薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩が建白書を提出し、上局、実施に至る。1871年には御親兵とする軍事力を持って廃藩置県を行い、府県制が確立した。
版籍奉還によりそれまでの大名は「藩知事」に任命された。各藩知事は以下の通りである。 docs.google.com 興味を引く点を挙げてみよう。 第一に9の「長州藩」としてよく知られる「周防山口」の毛利宰相家である。ただ長州、つまり長門ではなく周防と認識されている点は興味深い。今後も関係史料を見ていく中でいつごろから「長州藩」なるものが出現したのか探ってみたい。 第二に71の「丹羽五郎左衛門」と249の「北条相模守」である。前者は丹羽長秀が「五郎左衛門」だったこと、後者は藩祖が小田原北条氏(相模守)であったことから、中世末期から近代まで家を守り抜いたことがうかがえる。有力大名だけが生き残ったわ…
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県からなる東北地方であるが、明治維新までは陸奥国と出羽国の2国だけだった。 1869年(明治元年)、明治政府との戊辰戦争に敗れた奥羽越列藩同盟諸国に対する処分として、出羽国と陸奥国の分割が行われた。 出羽国が、羽前国と羽後国の2国に、陸奥国は磐城国、岩代国、陸前国、陸中国、陸奥国の5国になった。 陸奥国は、7世紀中頃に常陸国から分離して成立した。 出羽国は、8世紀初めに越後国と陸奥国から分離して…
⚫1853年、アメリカのマシュー・ペリーの来航によって、日本は西洋列強の圧倒的な国力に直面しました。 ⚫この出来事は、日本近代化の道を歩み始めるきっかけとなり、その結果、明治維新が起こりました。 ⚫維新の動きは、単に政権の交代に留まらず、日本全体の構造根本から変えることを目指しました。 ⚫政府樹立後、明治政府は欧米列強模範に近代国家建設に着手しました。 ⚫その最初のステップとして、憲法制定議会が開かれ、近代軍隊の創設と産業革命が進められました。 ⚫これらの変革をわずか20年から30年の間に達成されたという点で、特に注目すべきです。 ⚫明治政府のもう一つの重要な成果は、戊辰戦争を通じて、旧幕府勢…
丹波亀山城外の南郷公園に設置されている明智光秀像 「気ままにぶらっと城跡へ」の第26回目は、京都府亀岡市にある丹波亀山城です。 えー、上の写真、霞んでてすみません。 丹波亀山城は、京都と山陰・中国地方を結ぶ、軍事・政治・経済面の要衝の地である亀岡に、明智光秀が丹波攻略のために築城した平山城です。 また、歴史の大転換となった「本能寺の変」出陣の城で、二度と帰ってくることができなかった光秀の城でもありました。 明治2年に亀山が亀岡と改称されたのは、「版籍奉還」にともない伊勢国亀山との混同を避けるためでした。 別称は、霞城、亀宝(きほう)城、亀岡城。 2024年3月8日に、再攻城してきましたので記事…
仏教には長い歴史があります。その歴史の中で日本仏教にとって特筆すべきなのは、大乗仏教の勃興、その中国化、そして、鎌倉新仏教の誕生です。それらに超特急で迫ってみましょう。 Aインドと中国の仏教 <仏教の誕生と釈迦の思想> 釈迦が生まれたのは紀元前5世紀頃(縄文時代の終わり頃)。釈迦の一生は阿含(あごん)経典群に述べられていて、それらは釈迦の伝記になっています。釈迦は自らの思想を語るだけで、書き記してはいません。これは昔の思想伝達の方法で、釈迦が亡くなった後も暫くはこの「口伝」が続きました。釈迦が亡くなった後に、弟子たちが自分たちの記憶を整理し、これを経典、つまり、お経としてまとめ、後に書物の形で…
この日記は明治元年四月一日から始まっています。この年は九月八日に明治と改元されました。それまでは慶応四年でした。 この年は次のような出来事がありました。 一月三日 鳥羽、伏見の戦い。 三月十四日 西郷隆盛と勝海舟が会談し江戸城開城の了解なる。五ケ条の誓文発布(十五日、五枚の立札を掲示)。 三月二十一日 天皇が大阪行幸。閏四月八日京都へ帰る。 四月四日 江戸城開城し、十一日徳川慶喜水戸に屏居謹慎し、榎本武揚が幕府の軍艦を率いて北海道へ向かう。 四月二十五日 近藤勇、江戸下板橋で斬られる(三十五歳)。 閏四月八日 天皇が大阪行幸から京都へ帰る。 閏四月三日 福沢諭吉、芝に英学塾を移転し慶應義塾と改…
皆さん、こんにちは。 今回は、愛知県犬山市にある“博物館明治村”に訪れました。 博物館明治村 正門 博物館明治村へは、名鉄犬山線犬山駅より明治村行きの路線バスでアクセスできます。 ということで、“博物館明治村”にやってきました。 路線バスは明治村の正門に到着します。正門に掲げられた『博物館明治村』の木札とレンガ造りの門が立派です。 ちなみにこの門は、かつて名古屋の旧制第八高等学校にあったものです。 ビクティニ:今日は明治村で100年前のSLと市電に乗車します ムーミン:この日は雨だけど、人はあまりいないから落ち着いて散策できるね 明治村について 博物館明治村は、日本に残された数少ない明治建築の…
こんにちは、勘矢です。 今回は常陸麻生藩新庄家について調べたことをまとめました。 1. 常陸麻生藩新庄家 (1)第一次麻生藩 (2)第二次麻生藩 (3)幕末の麻生藩 1. 常陸麻生藩新庄家 (1)第一次麻生藩 新庄氏は藤原秀郷の後裔で、南北朝時代頃の俊名が近江国坂田郡新庄(滋賀県米原市)に居住して新庄を称したのにはじまる。代々室町幕府に仕え、1538年に直寛、1549年に直昌の父子が相次いで戦死した。直昌の子直頼は幼少で家臣に庇護され、成長後は豊臣秀吉に仕えた。 1595年に摂津高槻で嫡男直定とともに各一万石を与えられたが、関ヶ原の戦いで西軍に与したため領地を没収された。直頼・直定父子は会津の…
日本史 前回の明治維新の続きから。 地方の政治 江戸時代は、「幕藩体制」といって、全国の4分の1を支配する幕府と、 全国の4分の3を支配する各藩の大名による政治体制だった。 大政奉還により、幕府はなくなったが、地方には300名以上の大名がいた。 1839年 版籍奉還 藩主が領地(土地)と戸籍(人民)を天皇へ返上する。 旧藩主を知藩事に任命し、石高の1割の家禄(棒禄)として支給。 1871年 7月 廃藩置県 薩摩・長州・土佐の精兵を1万人集めて、御親兵として、その武力を背景に断行。 中央政府から、府知事・県令を派遣した。 中央の動き 藩閥政治 薩摩・長州・土佐・肥前出身の有力者たちが政治の実権を…
玉川公園、このあたりが加賀八家のひとつ、 長家の屋敷跡でした。 本多家に次ぐ石高を有し、版籍奉還後は 金沢藩庁として使われたこともあるそうです。 この案内板には、玉川図書館が専売公社だった頃の 写真等もあり、遍歴を見るのが楽しいです。
おはようございます。 11時起床、早起き失敗。キャー!!!!!!! ともかく、今日はこの本の話。みの『にほんのうた』。Kindle本が70%OFFという超絶お得なキャンペーンに乗っかって一週間前に買った。 軽音楽部時代からみのミュージックを欠かさず観ているし、前作『戦いの音楽史』も読んだ。前代未聞?の邦楽通史を書くという試みも勿論応援していた。読まないわけにはいかない。先ほどのセール、そして私が割と信頼している音楽ライター・s.h.i.氏が電子書籍を勧めていたこともあり(リンク)、そうした。 面白かった!!! まずは伝統音楽パート。やっぱり音楽は踊りと密接な関係を持っている。 西洋音楽をどうや…
神奈川県なのに「横浜市」、愛知県なのに「名古屋市」…県庁所在地の名前が違う「19道県」の知られざる事情 2024年3月16日 12:00PRESIDENT Online都道府県名と都道府県庁所在地の名称が同じところと違うところがあるのはなぜなのか。『消えた都道府県名の謎』(イースト新書Q)の著書がある評論家の八幡和郎さんは「戊辰戦争の勝敗が影響しているという人もいるが、まったくの都市伝説だ。廃藩置県の時点では、すべての県で県名と県庁所在地は一致していた」という――。都道府県名と県庁所在地名が異なるのは19道県たいていの県は県庁所在地と同じ名称なのに、北海道は札幌市で神奈川県は横浜市、愛知県は名…
こんにちは、勘矢です。 今回は松江藩分家の広瀬藩と母里藩松平家について調べたことをまとめました。 1. 出雲広瀬藩松平家 (1)広瀬藩主(前期) (2)広瀬藩主(後期) 2. 出雲母里藩松平家 (1)母里藩の立藩 (2)新庄家からの養子 (3)越前系松平氏の血筋に戻る 1. 出雲広瀬藩松平家 (1)広瀬藩主(前期) 松江藩主松平直政の二男近栄ははじめ叔父で明石藩主松平直良の婿養子となったが、直良に庶子直明が生まれたので実家に戻り、1666年に兄綱隆が松江藩相続時に出雲国内で三万石を分与され、能義郡広瀬に陣屋を構えた。 1682年に越後騒動に絡み閉門となり、半知を召し上げられた。1686年に五千…
〇藤井長治郎 (1889~1985) 官僚、教育者。宮崎師範学校卒業後、諸塚村内の小学校教員や諸塚郵便局長を経て、1929年に諸塚村議会議員となる。戦後諸塚村長に就任すると、村公民館を建てて、集落自治の活動組織を確立、さらに1947年には日本初の成人式を創始し、村の発展に寄与した。その後宮崎県議会議員を務めた。 <藤井長治郎像> 場所:諸塚村中央公民館(宮崎県東臼杵郡諸塚村家代3066) 竣工:1979年2月 像高: 作者:背面に署名があるが、達筆すぎて読めない 撮影時:2022年3月28日 説明:戦後日本の荒廃を見て、なんとかしなければと思ったんでしょうね。成人式の始まりが、こんな山中の村か…