このシリーズの始めのほうの記事で、非人には「狭義の非人と広義の非人」がいると紹介した。しかしこれまた時期と地域によるのだが、「非人に近い扱い」をされていた職能民というものが数多くいたようだ。 以前紹介した「狭義・広義」の非人の定義づけは、あくまでも1302年時点でのものである。それより前、例えば鎌倉期における「賤民」の定義はより広かったようで、漁師の子であった日蓮が、自らを「旃陀羅(せんだら)が子」と自称していたことも、前に紹介した。 また例えば、室町期に成立した「三十二番職人歌合」には「菜売り」「鳥売り」などが「いやしき者なり」として紹介されている。 「三十二番職人歌合せ」より。左が鳥売り、…