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彦根市

(地理)
ひこねし

■概要
 彦根市は、昭和12年(1937)2月11日に市制を施行し、以来びわ湖東北部の中核都市として発展を続けてまいりました。
 びわ湖と鈴鹿山系に囲まれた豊かな自然に恵まれた本市は、江戸時代に彦根藩35万石の城下町として本格的な歩みを始め、現在に至るまで歴史的、文化的な風情を色濃くとどめるとともに、中世から近世にかけての貴重な歴史遺産が今なお、数多く存在しています。

■歴史・市域・面積

彦根市の歴史
 「彦根」の地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来しているとされている。
 戦国時代になって絶えず戦場となっていたが、豊臣時代に石田三成が佐和山城主となってから町は次第に繁栄し、その後、関ヶ原の戦功で井伊直政が彦根の地に封ぜられ、その子直孝が彦根城を築城してから城下町として発展、産業、政治、文化の中心地として300年間栄えた。
 明治4年廃藩置県により、翌5年2月27日長浜県を犬上県と改称し、その後同年6月滋賀県となった。
 同22年4月1日町制を施行、昭和11年都市計画法適用地域に指定され、翌12年2月11日隣接の松原、北青柳、青波、千本、福満の5ケ村を合併して彦根市人口39,335人、面積25.08平方キロメートルが誕生した。
 次いで、昭和17年6月10日南青柳村、磯田村、昭和25年4月1日日夏村、昭和27年4月1日鳥居本村、昭和31年9月30日河瀬村、亀山村、昭和32年4月3日高宮町、昭和43年4月1日稲枝町が合併し今日の彦根市となった。

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