(名・形動)[文]ナリ 幸福でないこと。また、そのさま。不幸。不運。
ころから帰って来た時には、部屋の中には誰もいなかったのである)、何者か腰をかけていた。それは一個の紳士であった、いや、一そう的確に言えば、ある特殊なロシヤのゼントルマンで、もうあまり若くない、フランス人の、いわゆる”pui frisait la cinquantaine“([#割り注]五十歳に近い人物[#割り注終わり])である。かなり長くてまだ相当に濃い黒い髪や、楔がたに刈り込んだ顎鬚には、あまり大して白髪も見えなかった。彼は褐色の背広風のものを着込んでいた。それも上手な仕立屋の手でできたものらしいが、もうだいぶくたびれた代物で、流行がすたってから、かれこれ三年くらいになるので、社交界のれっき…
を、忘れたかったからかもしれません……そうです、まったくそのためなんですよ……ええ、ばかばかしい……幾度あなたはそんなことを訊くんです? ただでたらめを言ったのです、それっきりです。一どでたらめを言ってしまったから、もう訂正したくなかったんです。人間というものはどうかすると、くだらない動機からでたらめを言うものですよ。」 「ドミートリイ・フョードロヴィッチ」と検事は諭すように言った。「どんな動機から人が嘘を言うかってことは、容易に決定できるもんじゃありません。ときにお訊ねしますが、あなたの頸にかかっていたその守り袋なるものは、大きなものでしたか?」 「いいえ、大きくはありません。」 「例えば、…
たような気持がいたしますわ……あなたはここで勤めていらっしゃるのでございますって? それはまあ、何より嬉しいことでございますわ……」 こう言いながら、夫人はもう半切の書簡箋に、大きな字で次の文句をさらさらと手早くしたためた。 『わたくしはいまだかつてかの不幸なるドミートリイ・カラマーゾフ氏に(何というとも彼はいま不幸なる身の上なれば)、三千ルーブリの金を与えたることなきのみならず、一度たりとも金銭の貸与をしたることなし! 世界にありとあらゆる聖きものをもってこの言葉の真なるを誓う。 [#地付き]ホフラコーヴァ』 「さあ、書けました!」と夫人はくるりとペルホーチンのほうへ振り向いて、「さあ、行っ…
ところで、あの人の療治はずいぶん面白いことをするのでございます。マルファさんはある水薬を知っていて、いつも絶やさないようにしまっておりますが、何かの草をウォートカの中に浸けたきつい薬でございます。あのひとはその秘伝を知っておりますので。グリゴーリイさんは一年に三べんほど中風かなんぞのように、腰が抜けてしまいそうなほど痛いので、そんな時この薬で療治をします。何でも年に三べんくらいでございます。その時マルファさんは、この草の汁をしませた酒で手拭を濡らして、三十分ばかりつれあいの背中を一面にこすって、からからになって赤く腫れあがるまでつづけた後、何かおまじないを言いながら、壜に残っている薬をつれあい…
「この間もパーヴェルさんに、『臼へ入れて搗き殺すぞ』っておっしゃいましたわ」とマリヤが言い添えた。 「もし臼へ入れてなどと言ったとしても、それはほんの口さきばかりかもしれませんよ」とアリョーシャが言った。「もし僕がいま兄さんに逢うことができたら、そのこともちょっと言っておくんですがねえ……」 「私があなたにお知らせのできるのは、まあ、これくらいなものでございますよ。」何やら考えついたように、スメルジャコフは突然こう言いだした。「私がここへ出入りするのは隣同士の心安だてからです。それに、出入りして悪いってことはありませんからね。ところで、私は今日夜の明けないうちにイヴァンさまのお使いで湖水街《オ…
実際ミーチャの手から『横取り』する気でいるという噂をちらほら耳にしていた。ついこの間までこの噂はアリョーシャにとって、もってのほかの奇怪至極なものに思われた。もっとも、非常に気がかりであった。彼は二人の兄を両方とも愛していたので、二人の間のこうした競争が恐ろしくてたまらなかったのである。 そのうちに、昨日ドミートリイが、とつぜん彼に面と向って、自分はかえってイヴァンの競争を悦んでいる、そのほうがいろいろな点において自分のために都合がよいと言った。どうして都合がよいのであろう? グルーシェンカと結婚するためとでもいうのか? しかし、アリョーシャには、こんなことは自暴自棄な最後の手段としか思えなか…
「誓って言いますよ。あのひとはここへ来やしません。それに、誰一人あのひとが来ようなどとは思っていなかったのです!」 「でも、おれはあの女をちゃんと見たんだがなあ……してみると、あれは……よし、すぐにあれがどこにいるか探り出してやる……あばよ、アリョーシャ! もうこうなったら、このイソップ爺《じじい》に金のことなんか一ことも言っちゃならんぞ。しかし、カチェリーナ・イヴァーノヴナのところへは、これからすぐに行って、ぜひとも『よろしく申しました』と言ってくれ! いいか、よろしくよろしくと言うんだぞ! そして、今日あったことを詳しくあのひとに話してくれ。」 その間に、イヴァンとグリゴーリイは老人を助け…