2013年7月18日第1刷発行 月の章 福岡黒田藩の筑前勤王党の月形洗蔵はもはや尊王攘夷派の過激な行動を押しとどめることはできなかった。11代藩主黒田長溥は、幕府と長州の間を周旋したかった。毅然たる態度で外国に対するためには朝廷と幕府の一和、国内の統一を果たすべきだと考えいた。その長溥の考えをよく理解していた洗蔵だったが、それが成功した後の洗蔵が目指すものと長溥の考えは大きく隔たりがあった。高杉晋作が福岡藩に亡命して来た時、洗蔵は晋作を匿い、晋作が長州に戻るための費用も工面した。長溥は洗蔵を長州周旋のために長州に送り込んだ。洗蔵は長州を説得できるのは晋作しかいないと考えて晋作を頼り、西郷隆盛に…