平城天皇

社会

平城天皇

へいぜいてんのう

平安時代初期、第五一代天皇奈良の帝とも。

諱は安殿(あて)。桓武天皇第一皇子。母は藤原乙牟漏(式家・藤原良継の娘)神野親王の同母兄。光仁天皇の孫。

在位806年3月17日〜809年4月1日

詩文が「凌雲集」「古今集」などに収められている。

天皇時代

種継暗殺事件に関与したとして皇太子を廃された叔父の早良親王に代わって皇太子となったため、病身は早良親王怨霊による祟りとされた。

皇太子時代より、妃の母である藤原薬子を寵愛して醜聞を招く。

積極的な政治姿勢を示し,在位中官制の改革を行なった。

病によって同母弟である嵯峨天皇譲位

上皇時代

譲位したのち徐々に調子を取り戻し、また薬子も政権を手放さぬよう促したことから、嵯峨天皇と対立して独自の治世を行い、二所朝廷と呼ばれる状態になった。

のち、重祚を企てる薬子の変が起きたが失敗、仏門に入った。


子孫

平城天皇の子孫に臣籍降下して在原姓を賜ったものがいる。その一人が在原業平である。