就職も決まり、資格試験も順調に合格を重ねていた。当時の読売ジャイアンツの監督は長嶋茂雄ではなく、王貞治だった!それは、置いといて…昭和63年、1988年の冬あの年の日本は、どこかしら重たい空気に包まれていた。 というのも、昭和天皇がその年の9月に吐血され、緊急入院。その後、年を越しても病状は安定せず、全国民が日々のニュースで“陛下のご容態”を見守るという、いわば国家的な「看取り」のような空気感が続いていたのだ。 ごはん時、テレビをつければ必ずNHK。厳しい表情で会見に臨む竹下登首相が映るたび、「これはただ事じゃないな…」と、さすがに当時の私でも肌で感じた。正直、皇室に特別な思い入れがあったわけ…