歴史家。1895-1984。少年の頃大逆事件に衝撃を受け志を立てる。日本中世史の研究により注目を集める。ヨーロッパに留学しE.バークのフランス革命批判思想などを学ぶ。万邦無比の國體を護持せんとする忠臣を称え、その系譜に連なることを要求する独自の「皇国史観」を確立、東京帝国大学文学部国史学科教授として影響力を発揮する。戦後は野に下り、神職の傍ら各地で講演。 『物語日本史』(講談社学術文庫)など著書多数。 リスト::学者::人文科学
・亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。 ・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。 kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com ・当ブログへのご意見、ご感想及び情報提供などにつきましては、下記のメールアドレスまでご連絡下さい。場合によっては、謝礼等も前向きに検討致します…
・亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。 ・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。 kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com www.asahi.com www.asahi.com www.dailyshincho.jp bunshun.jp bunshun.jp g…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 明治維新とは、日本を神武天皇の時代に戻す事であった。 慶応3年12月9日(1868 年1月3日) 王政復古の大号令「諸事神武創業ノ始ニ原ツキ」。 明治新政府は、「神武創業ノ始」に回帰する事を標榜して、日本を近代化して大陸戦争に勝利する軍国主義国家に改造すべく暴走した。 日本の近代化とは、平和の為ではなく戦争の為であった。 ・ ・ ・ 皇国史観・神国物語は、必然であった。 民族中心神話を基にした皇国史観・神国物語は、外敵から日本を守る為に創作された宗教的イデオロギー的自衛手段であった…
晴れの木曜日。ぼちぼち仕事をしたらやっぱり夕方には眠くなる。疲れやすすぎる… 疲れて難しいことをする元気がなくなったら出隆の自伝をめくる。出は思想的立場が異なる人とも、交友していて、興味深い話がいろいろとある。平泉澄が敗戦直後に辞表を出して、9月1日には出に「敗けました」と挨拶をして、ひとりで荷車に自分の書物を積んで大学から去っていったエピソードなど、時代を感じさせられる。
1・松本清張『昭和史発掘』(全九巻、文春文庫) 2・立花隆『天皇と東大』(全四巻、文春文庫) 3・清水晶子・ハン・トンヒョン・飯野由里子『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(有斐閣) 4・森岡正博『生まれてこないほうがよかったのか? 生命の哲学へ!』(筑摩選書) 5・ジョリス=カルル・ユイスマンス『さかしま』(澁澤龍彦訳、河出文庫) 6・サマセット・モーム『金原瑞人MY FABORITE 征服されざる者 The Unconquered/サナトリウム Sanatrium』(青灯社) 7・Joyce Carol Oates, "Where Are you Going, Where Have Y…
振り返っていきます。 末法!MAPPOU! その他、今年発したフレーズ さいごに 末法!MAPPOU! いや凄い。去年も凄かったけど今年も人心の荒廃が加速度的に進行している。もはや末法(MAPPOU)としか言いようがなく、ここまでくると、もうみんな頭がおかしくなってしまった、正気なのは俺だけなんじゃないか、間違いねえなっつうか平成に生まれてこのかた良い時代なんか一瞬たりともなかったろうがよ。なんか昭和の価値観?をアップデート(笑)とか言ってるクズどもがゴキブリみたいにわんさかのさばってきて俺はキレッぱなしでかなわんね。平成はどうしたんだよ。アップデート(笑)しなくていいのか?つうか昭和の価値観…
いわゆる「皇国史観」という言葉を聞くと、大東亜戦争での大敗という結果を招いた軍国主義体制を思想的・精神的に下支えしたイデオロギーであるとの条件反射を示す日本人は多いのではないだろうか。「皇国史観」という言葉が喚起するイメージは、まるで「悪」と同義であるかのようのである。だからこそ、本居宣長の 敷島の 大和心を 人とはば 朝日に匂ふ 山桜花 という歌に現れた国学の思想を「皇国史観」と結びつけて解する無知蒙昧を多く生み出しもしたのだろう。 予め結論を言うなら、平田篤胤の国学(平田派国学)とならば格別、いわゆる皇国史観と本居宣長の国学とは無関係である。そもそも、本居宣長が「史観」などというものを宣揚…
子どもの頃から、歴史はマンガで学んできました。 自分の好みだけでは偏るので、友人が薦めてくれたらとりあえず試してみます。 「逃げ上手の若君」 「大奥」 「パリピ孔明」 「逃げ上手の若君」 逃げ上手の若君 熊本古代史旅を一緒してくれた友人が、薦めてくれたマンガが面白かったです。 さすが、わかってらっしゃる。 足利尊氏の裏切りによって、鎌倉幕府は滅び、ほとんどの重臣たちが死を選んだ中、直系の後継、北条時行は8歳という幼さながら、その天賦の「逃げる才能」を活かして、諏訪に逃げ、諏訪大社の神官諏訪頼重の下で再起を図ります。 読んでいる途中で、「これって、中先代の乱かな?」と気づくも、それだと時行は負け…
THE TED TIMES 2023-37「大川周明②」 10/8 編集長 大沢達男 『日本二千六百年史』(大川周明 毎日ワンズ)を読む。 1、ダイナミック 大川周明は戦前の代表的な国家主義者として知られています。 ところが『米英東亜侵略史』(土曜社)を読んで、単純な「国家主義者」などというイメージは、ブッ飛びました。 大川周明は、戦前の日本を代表する、いやいまの時代においても日本を代表する歴史学者といえます。 さらに今回、『日本二千六百年史』読み、その思いを強くしました。 『物語日本史 上中下』(平泉澄 講談社学術文庫)にも驚きましが、大川周明は負けていません。 大川の優れた点は、国際的に、…
録画していた日曜のドラマを見ようと思っていたが、今日は忙しくて『どうする家康』伊賀越えの回まだ見られてない。お風呂上がりか、明日にするか。 『VIVANT』は見た。今のところめっちゃおもしろい。まあね、結局薫さん救助できるんだろうなとか、野崎さん待っててくれるんだろうなとか、無事国境越えられるんだろうなとか、うまくサーバーのデータ盗れるんだろうな、ってのはわかってるんだけど、わかってるけど手に汗握る感じあるよね。やっと死の砂漠越えられたのに、チンギスが待ち構えてて銃乱射してるの絶望すぎて笑った。これぞ日曜劇場。サーバー忍び込むところは半沢すぎた。堺雅人だし。来週は誤送金編完結、楽しみ。 昨日は…
以下の動画の、この、長浜浩明という人は議論を始める前に、平泉澄について言及している。つまり、基本的に、 平泉史観 を自分はここでは、信仰して、その理論の主張の通りに語る、と宣言しているわけだ。 長浜浩明:(明治時代の小学校の歴史教科書を紹介して)これは、日本書紀にもとづく歴史の流れを記述しているのであってですね、日本書紀は日本の正史ですから、日本の正史にもとづいて、古代を語るというのは、ごくごく、まっとうな考え方だと私は思っているわけですよ。 m.youtube.com 長浜浩明:(神武天皇の個所を朗読した後で)まあ、こういうことが今の小学6年生あたりから徹底的に教えられているために、その頃の…
・天平勝宝1年(749) 1. 聖武太上天皇は行基から菩薩戒を受けて出家、「太上天皇沙弥勝満」を自称した。(『続日本紀』) ※天皇経験者の出家は初であり、天武天皇が現人神としての像を固めた天皇のうえに、仏を位置づけたことになる(渡辺晃宏『平城京と木簡の世紀』)。 ・天平勝宝1年(749) 2. 陸奥国から金が産出したことが報告された。(『続日本紀』) ・天平勝宝1年(749) 4. 聖武天皇は東大寺に行幸し、自らを「三宝の奴の天皇」として詔を発した。(『続日本紀』) ※百官の前で、仏教と天皇の関係性が述べられた形となった(倉本一宏『はじめての日本古代史』)。 天平勝宝1年(749) 7.2 聖…
・587年 8.2 前大后の額田部王や、蘇我馬子ほかの群臣の奉戴により、穴穂部王の同母弟泊瀬部王が天皇に即位した(崇峻天皇)。蘇我馬子は引き続き大臣となる。(『日本書紀』) ※用明天皇が崩御した後も、まだ竹田王が十分な年齢に達していなかったため、崇峻天皇もまた「中継ぎ」として即位したとも考えられる(篠川賢『飛鳥と古代国家』)。 ※穴穂部王が薨去したことで、小姉君の産んだ欽明天皇の王子では最年長になったことや、額田部王の派閥には他に即位に相応しい年齢に達した者がいないという、消極的な理由で天皇に選ばれたとも考えられる。そのため、群臣層から全面的な支持を得ていたわけではない(佐藤長門『蘇我大臣家』…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 昔の日本の国柄は、論語儒教的政治権力(御恩、忠君、滅私奉公)と日本仏教的宗教権威(慈悲、利他)と神話神道的天皇のご威光(大御心、御稜威)の三竦みによる鼎立体制であった。 日本民族の「和心」は、神話神道的天皇のご威光(大御心、御稜威)のみである。 ・ ・ ・ 中国と朝鮮の中華儒教は、非人道的排他的不寛容的教条差別主義として、偏見で日本国・日本民族を文化度のない教養のない野蛮人=蛮族と軽蔑し差別し迫害していた。 孔子の儒教と言っても、日本の論語儒教(異端儒教・私学)と中国・朝鮮の中華儒…
《 陸軍中野学校の果たした役割を追う 4 》 大東亜交流圏その4 あなたはご存じでしょうか? 戦前、米国で数多くの日本人が強制収容所に入れられていたことを――― その数、12万人。 米国は、その当時の日本人が世界で活躍することを恐れていました。 日本の軍人がアジアに進出して、それまでの欧米列強が植民地として支配しを続け、現地からあらゆるものを搾取する体制に警鐘を鳴らし、「大東亜共栄圏」を生み出そうとしていることに危機感を持っていました。 同時に、日本は米国の内部からの崩壊も図っていました。 というのは――― 米国には、昔から黒人への差別がありました。 米国を建国したジュージ・ワシントンやベンジ…