米川泰夫

スポーツ

米川泰夫

よねかわやすお

50年代のプロ野球選手。通称「天皇」。

右投右打、ポジションは投手背番号は1→19番。

1927年12月17日生まれ。大阪府出身。

華商業から立命館大学に進学。1949年関西六大学野球優勝。

同年7月、中退し東急フライヤーズ(後の東映フライヤーズ)に入団。

1年目より一軍で活躍、沢村栄治を彷彿とする投球フォームで人気を博した。

1950年、207奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。

同年、シーズン最多失点182、投手シーズン最多失策12のパ・リーグ記録を樹立。

1953年、180奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。

延長22回完投での264球は、現在もプロ野球最多記録となっている。

エース投手として1950年代フライヤーズを支えた。

1959年、よりA級10年選手制度の権利を行使し、西鉄ライオンズに移籍。


同年、現役引退実業家となる。


1975年太平洋クラブライオンズ投手コーチに就任。

同年、退団。