米田哲也

スポーツ

米田哲也

よねだてつや

プロ野球選手。 

通称「タフマン」「ガソリンタンク」「人間機関車」。

右投右打、ポジションは投手背番号は18番。

1938年3月3日生まれ。鳥取県出身

境高から1956年阪急ブレーブスに入団。*1

1年目より9勝、2年目に21勝をあげて以後、ブレーブスのエースとして活躍。

「ヨネボール」と呼ばれるフォークボールも武器に、左腕梶本隆夫と共に「ヨネ・カジ」コンビを成した。

1966年、25勝で最多勝。同年、通算200勝を達成。

1967年、18勝を挙げパ・リーグ初優勝に貢献。1968年には自己最高の29勝をあげMVPに輝く。

打撃にも優れ、プロ入り2打席目に満塁本塁打を放っている。*2

1971年、通算300勝達成。

1975年、登板機会を求め、阪神タイガースに移籍。

1977年近鉄バファローズに移籍。同年、現役引退

20勝以上を8回、18年連続2桁勝利を記録。949試合登板は歴代1位。通算350勝は金田正一の400勝に次ぐ歴代2位である。*3

引退後は関西テレビ野球解説者を務める。


1985年吉田義男に招聘され阪神タイガース投手コーチに就任し、優勝に導く。

1992年、オリックス・ブルーウェーブ投手コーチに就任し古巣復帰。

1995年、近鉄バファローズ投手コーチを務める。同年、退団。


2000年、野球殿堂入り。

*1大阪タイガースとの2重契約が発覚したが、コミッショナー裁定により阪急への入団となった。

*2:これは1983年に駒田徳広(当時巨人)に更新されるまでの満塁本塁打の最短記録。通算33本塁打は、投手本塁打数としてこれも金田正一に次ぐ2位。

*3:数々の成績を残しているが、米田の現役時代はパシフィック・リーグの人気が低く、加えて阪急が長く弱小球団であったため、残した成績ほどの評価を受けていない感がある。