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地理

保土ケ谷区

ほどがやく

横浜市保土ケ谷区は、横浜市中部に所在する行政区

1927年10月1日、人口38,118人で保土ケ谷区が発足*1

1969年に現在の区域となる。

面積は21.93km²、人口は205,291人*2

地勢

横浜市のほぼ中央に位置し、帷子川と今井川が流れ、鉄道や道路の通る低地と、それらを取り囲む丘陵地からなる起伏に富んだ地形である。川や鉄道に沿った低地部は、駅を中心に市街地を形成し、丘陵部は落ち着きのある成熟した住宅地となっている。

このような状況から、相鉄線連続立体交差事業神奈川東部方面線の整備など交通の利便性向上のほか、浸水やがけ崩れなどの災害防止対策、狭あい道路の整備と歩行者空間の確保による交通安全対策、防犯対策など、安全・安心・快適な暮らしを支える取組が求められている。

さらに、市の中心部に近い立地にありながら、水や緑などの自然環境に恵まれており、帷子川沿いの「水の軸」、区の西部に残された緑を南北に結ぶ「緑の軸」、旧東海道沿いの「歴史の軸」として「水と緑と歴史のトライアングル」を構成し、貴重な地域資源となっている。

歴史

1601年、東海道に宿駅の制度が定められた際、江戸から4番目の宿場として、東海道保土ケ谷宿が誕生し、以来、保土ケ谷は江戸時代を通じて交通・経済・文化の要所として賑わった。

明治に入ると東海道線「程ケ谷駅」が開業、帷子川下流域に工場が進出し、内陸の工業地帯として発展した。

1927年4月、橘樹郡保土ケ谷町都筑郡西谷村横浜市に編入、同年10月1日には保土ケ谷区が発足。

1939年4月1日、都筑郡都岡村と二俣川村を編入。

1943年12月1日、中区より西久保町を編入。

1969年10月1日、旧都岡村及び今井町を除く旧二俣川村、並びに川島町の西半分*3旭区に、残部を保土ケ谷区とする。港北区から上菅田町・新井町を編入。

*1横浜市政令指定都市の指定前から区制を実施

*22016年1月1日現在

*3:現在の西川島町を含む