スマートフォン用の表示で見る

奉天会戦

一般

奉天会戦

ほうてんかいせん

日露戦争最大の会戦。1905年3月。

大山巌vsクロパトキン。

1904年の諸会戦で敗れたロシア側は「問題ない、すべて計画通りだ」と言わんばかりに冬季を利用してシベリア鉄道で大量の増援を送り込み、春の訪れとともに反撃するつもりだった。

それまでの戦闘で勝ちはしたものの、戦力を消耗し、本来の国力の違いからその回復も十分ではない日本側はこれを手をこまねいて待つわけには行かないので先手をとって行動を開始。

兵力で劣るものの、奉天ロシア軍を両翼から包囲する動きを見せる。第三軍の迂回攻撃によって退路を断たれることを警戒したロシア軍(というかクロパトキン)は撤退を選択、3月10日に奉天は陥落した。

日本軍ロシア軍主力の撃滅にはまたも失敗し、多大な損害を被り、補給線も伸びきって攻勢限界に達した。

ロシア軍も司令官クロパトキンが解任され、これが日露戦争で最後の大会戦となった。