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豊多摩刑務所

社会

豊多摩刑務所

とよたまけいむしょ

大正12年9月、関東大震災で倒壊したが、唯一つ形を残した十字舎房は「治安維持法」(同14年公布)違反で検束された思想犯達を収容して行った。例えば、埴谷雄高荒畑寒村亀井勝一郎小林多喜二中野重治河上肇三木清らが次々に入獄している。

昭和6年6月には全ての復旧工事が終了した。刑務所のシンボルであった時計台も焼け残った土台を生かした耐火式に修復された(これがその後、長篇小説『死霊』第1章「癲狂院にて」の「永久運動」する「時計台」のモデルとなった*1)。食堂が6カ所、医務室も設けられた。独房のある十字舎房は刑務所の表門を入ると直ぐ左手にあった。建物は東西南北になっており東房、西房、南房、北房と呼ばれていた。

同刑務所は、戦後、米軍の接収を経て、昭和31年中野刑務所( Nakano prison )として再開され、60年安保の時代には、十字舎房が公安被告の収容に充てられた。昭和58年3月31日、廃庁になり、建物は解体された。刑務所の跡地は今は公園になっている(平和の森公園および法務省矯正研修所東京支所)。

その跡地の一角には、同刑務所の赤レンガ造りの、五角形で丸みを出した表門が今も当時のまま保存されている。

*1:またそれだけでなく、そもそもこの獄舎の中で、埴谷のいわゆる「カント体験」が生じたことが、『死霊』執筆のひとつの原拠ともなったのである。