能登畠山氏の家中で大きな勢力を誇った温井氏の居城。 温井氏の祖は、南北朝時代の元中2年(1385)に東福寺の塔頭のひとつである栗棘庵を再興した覚山空性という。この栗棘庵の庵領が志津良荘にあり、どのような繋がりかは不明ではあるものの、温井氏は覚山空性の出身氏族であったのか、その代官として勢力を蓄えたと考えられている。 また、別の説として、南北朝時代の武将桃井直常の弟直信の子景信が温井景直の養子となって家を継いだともいう。ただ、この話が本当であれば、それまでの藤原姓から源姓への転換となるのだが、戦国時代初期の当主俊宗は藤原姓を名乗っているため、後世の仮冒の可能性が高い。いずれにしろ、温井氏の創始が…