北条義宗

一般

北条義宗

ほうじょうよしむね

北条義宗(1253年〔建長5年〕 - 1277年〔建治3年〕)赤橋義宗(あかはしよしむね)とも。

6代執権北条長時嫡子として生まれる。

1267年(文永5年)従五位下左近将監に叙爵、1271年(文永8年)11月には長時の後、六波羅探題北方であった叔父の北条時茂が在任中に死去し、しばらく空席であった六波羅探題北方として赴任。1272年(文永9年)2月には北条時宗の異母兄で六波羅探題南方であった北条時輔時宗の命により追討する(二月騒動)。1276年(建治2年)には鎌倉に戻り、駿河守に任ぜられ、評定衆に列せられるが、間もなく死去。

子どもは北条久時ほか、孫には16代執権となった北条守時足利尊氏に嫁いだ赤橋登子、外曽孫に室町幕府代将足利義詮がいる。