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北条義政

(社会)
ほうじょうよしまさ

北条義政(1241〔仁治3〕年〜1281(弘安4〕年)
北条重時の子。廂衆、昼番衆など将軍宗尊親王に近侍する。文永2(1265)年に引付衆、同4年評定衆、同6年二番引付頭人と出世を重ね、文永10(1275)年に連署に就任し、モンゴル戦争(元寇)の「異国征伐計画」を主導する。しかし堅持3(1277)年に病と称して連署を辞任、出家して信濃国善光寺に出奔、同国塩田荘に隠遁。「信州の鎌倉」塩田平別所温泉は義政の隠遁場所でもある。
突然の隠遁には事情があったと言われ、北条時宗との確執があったと考えられている。弘安4(1281)年11月27日塩田荘で没す。『続拾遺和歌集』『続千載和歌集』『玉葉和歌集』『新後撰和歌集』に詠歌がある。

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