・正安3年(1301) 1.21 後伏見天皇の譲位により、邦治親王は践祚した(後二条天皇)。(『継鹿記』) ・正安3年(1301) 7.20 尊治親王の母,忠子は准后宣下を蒙った。(『実躬卿記』) 〔要参考〕『実躬卿記』には、忠子は亀山院からの寵愛により、高倉西大炊御門南の御所に住んでいたとある。 ※忠子の准后宣下は、亀山院の意志が働いていた。忠子の地位が高くなったことで、尊治親王らその子息たちもその影響を受けた(中井裕子「後醍醐天皇」『室町・戦国 天皇列伝』)。 ・正安3年(1301) ?.? 卜部兼方と『釈日本紀』の写本が作成された。(『釈日本紀』奥書) ※『釈日本紀』には、神武天皇は大和…