亥山城址碑と堀跡の池 越前大野城の城下町にある、日吉神社の境内が亥山城である。城は、居山城や土橋城とも呼ばれた。 亥山城が史料に登場するのは南北朝時代で、「太平記」には、暦応2年(1339)7月に堀口氏政が居山の城より出て5日の間に11城を落としたとある。氏政は、新田義貞の家臣堀口貞満の一族で、新田庶流でもあり、前年に越前国藤島燈明寺畷で討死した義貞と共に越前に入って活動し、義貞死後も南朝勢力として亥山城で踏ん張っていたのだろう。そして、義貞の弟脇屋義助の指示により出陣して前述のように諸城を落としながら河合庄で他の南朝勢と合流し、北朝方の斯波高経の居城黒丸城を包囲して高経を加賀へ追い落とした。…