教祖四十年祭が提唱されて以来、倍加運動が叫ばれ、全天理教はこの本部の声に対して、渾身の努力をして来ましたので、今や凡そ倍加に近くなっているのであります。しかるに山名はこの運動に遥かに後れてはないだろかと思ふのであります。名京分離の節があったことは十分お察ししますが、更に進めて考へますならば、地場の精神を立て直すと云う所に、本当の精神を置いていなかったのではなからろうかと思うのであります。 単に一教会の分離についてのみ心を煩はし、又重きを置いて来たために、数と云う点から見ても、実際に道がおくれ来たのであります。大教会長は、立ちおくれをしたと申されましたが、私は寧ろその根本の精神に立ち至っていなか…