大聖寺城縄張図 大聖寺城の築城時期や築城者ははっきりしていないが、もともとは大聖寺という白山五院に数えられた寺があり、その寺坊跡を城郭に流用したと考えられる。 具体的には、在地豪族であった狩野氏が、鎌倉時代から南北朝時代にかけて築いたといわれ、太平記に、中先代の乱に呼応して挙兵した北条一族の名越時兼が、この城を攻めて山岸や上木といった狩野一党に敗れて討死したとあることから、建武2年(1335)には存在していたのは確かなようだ。 また、建武4年(1337)には、近隣の福田荘福田本郷の地頭である狩野義茂が南朝方に与し、越前の細呂木城を拠点にして、津葉清文の籠る大聖寺城を攻略したことが同じく太平記に…