戦前・戦後のプロ野球選手。
通称「鉄腕投手」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は18番。
1920年1月6日生まれ。愛知県出身。
中京商業1937年、1938年と2年連続で甲子園に出場。
1938年春にはノーヒットノーランを1度記録。
卒業後法政大学に進学。
1939年、中退し東京セネタースに入団。
1940年、33勝を挙げ、防御率0.93で最優秀防御率のタイトルを獲得。
その後、翼軍、大洋軍、西鉄軍と中心投手として活躍。
1942年、40勝を挙げ最多勝となる。
5月24日の対名古屋軍戦では、延長28回を一人で投げぬいた。*1
1943年、応召。
1946年、阪急ブレーブスに移籍。
打撃も良く、通算で830安打を記録している。
1952年、現役引退、コーチに就任。
1956年、毎日オリオンズのコーチに就任。
1967年、阪急ブレーブスのコーチに復帰。
1978年、近鉄バファローズの二軍監督に就任。
1986年、退任。
晩年は兵庫県西宮市に在住。ブレーブス2代目OB会長を歴任。
1989年、野球殿堂入り。
2007年5月21日、肺炎のため宝塚市内の病院で逝去。
野口4兄弟の次男であり、長兄は野口明、三男は野口昇、末弟は野口渉。
*1:相手投手の西沢道夫も一人で投げぬいている。