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矢代幸雄

(アート)
やしろゆきお

美術史家、美術評論家。1890−1975。

岡倉天心と同郷の横浜出身、東京帝国大学文科英文科卒業。「大正教養主義」世代にあたる。1915年から東京美術学校講師。1921年から1925年にかけてフィレンツェ居住のアメリカ人美術史家バーナード・ベレンソンに師事し、サンドロ・ボッティチェッリ研究を行う。後年にも、財団法人「啓明会」の助成を得、欧州で現地調査を続行している。

欧州滞在の折に、川崎造船所社長で美術蒐集家であった松方幸次郎のパリ・ロンドンでの絵画購入に同行。印象派や当時評価を高めつつあったポスト印象派の作品購入をアドヴァイスし、「松方コレクション(国立西洋美術館の常設コレクションの前身)」の形成に大きな貢献を行う。

サンドロ・ボッティチェッリ研究では国際的な知名度を獲得。帰国後、東京美術学校(東京藝術大学)教授。美術研究所(後の東京文化財研究所)の設立に尽力し(開所1930年)、1936年には所長就任。戦後は大和文華館初代館長(1960−70年)として活躍し、文化財保護委員会の委員(1950−66年)を務めた。1963年から芸術院会員。1970年に文化功労者となる。米のハーヴァード大、スタンフォード大をはじめ、イギリスの諸大学でも教鞭を取った。

日本における西洋美術史研究の祖であると同時に、滞欧歴が長く海外の知己も多いコスモポリタンとしての立場から、日本美術の紹介と国際的認知にも努めた。帰国後は、日本を世界の中の「文化国家」にしようという使命感のもと、美術・文化財にまつわる制度整備にも尽力している。

アメリカ人東洋美術史家、ラングドン・ウォーナーの友人であった矢代は、第二次世界大戦時に米軍が京都・奈良に空襲を行わなかったのは、日本の古都の文化的価値を尊重したからであるという、いわゆる「ウォーナー伝説」を作り出した人物でもある。

美術史研究においては、ボッティチェリ作品の一部分と日本美術のディテールとを相互比較したり、水墨画における「滲み」に着目するなど、視覚的な「細部」に対して独自の着眼点から形態的(formalistic)な分析を行っている点が特徴的である。

神奈川県立近代美術館葉山館では、2005年に「矢代幸雄資料展」が行われている。

音楽家、矢代秋雄は実子にあたる。

著作
『ジヨウジ・ワシントン』(井上赳と共著)1917
『西洋美術史講話 古代篇』1921年
Sandro Botticelli(論文:ロンドンにて刊)1925
『太陽を慕ふ者』1925年
『西洋名彫刻 古代篇』1927年
『東洋美術論考』1942年
『日本美術の特質』1943年
『レオナルド・ダ・ヴィンチ』1948年
『世界に於ける日本美術の位置』1948年(講談社学術文庫)
『随筆ヴィナス』1950年(朝日選書)
『受胎告知』1952年
『藝術のパトロン』1958年(新潮社)
『水墨画』1969年(岩波新書) 
『私の美術遍歴』1972年
『サンドロ・ボッティチェルリ』1977年
『忘れ得ぬ人びと』1984年
『日本美術の再検討』1987年(ぺりかん社、初出『藝術新潮』1958−1959)

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