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有藤道世

(スポーツ)
ありとうみちよ

プロ野球、ロッテオリオンズの選手・監督。
旧名「有藤通世」。通称「ミスターロッテ」。
右投右打、ポジションは三塁手→外野手。背番号は8番。


1946年12月17日生まれ。高知県高岡郡宇佐町*1出身。
高知高校から近畿大学を経て1969年、ドラフト1位でロッテオリオンズに入団。
1年目から三塁手として一軍に定着し、打率.285に21本塁打で新人王獲得。
翌年は打率3割、27盗塁を記録、以後、1970年代パ・リーグを代表する三塁手として活躍。

1971年のパ・リーグ優勝、1974年の日本一をはじめ、1977年、1980年、1981年と3度の半期優勝に貢献。

生え抜きのスター選手として、オリオンズ打撃陣を支えた。

村田兆治と共にチームの顔として活躍。


1983年、落合博満の台頭により外野手にコンバート。

1985年、パ・リーグ初の大卒2000本安打を達成。

1986年、現役を引退。背番号8番は準永久欠番となる。


1987年、監督に就任*2
1988年には、近鉄バファローズとの10.19ダブルヘッダーを率いた。*3

1989年、退団。

1992年の千葉移転に伴い「マリーンズ」に愛称変更、背番号8番は欠番では無くなった。


現在はTBS野球解説者を務める。

長女:有藤実花、次女:有藤智香は共にプロゴルファー。
他にはお好み焼き屋「有賀藤」を千葉県内を中心に経営している。


2006年、マスターズリーグ・札幌アンビシャスに入団。

*1:現在の土佐市。

*2:引退後即監督就任は、選手兼任を除き有藤、長嶋茂雄、稲尾和久、伊東勤のみである。

*3:1988年10月19日、川崎球場での近鉄バファローズとの最終戦ダブルヘッダーは、近鉄が2連勝すればリーグ優勝の試合だった。ロッテは第1試合に敗れたが、第2試合に延長10回で引き分け、全日程を終えていた西武ライオンズが優勝を決めた。しかし、当時のパ・リーグは試合時間が4時間を超えた場合、次の回に入らず引き分けとする規定があり、有藤が8分間の抗議をした場面が無ければもう一回延長できたとの批判を受けた。

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