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陽岳寺

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陽岳寺

ようがくじ

「陽岳寺」という名前の寺院は、多くの宗派にわたって日本に存在します。

臨済宗の陽岳寺

 東京都江東区深川の陽岳寺は、臨済宗妙心寺派に帰属する、禅寺です。

 寛永十四年の創立にて、 開基は向井左近衛将監源忠勝、 創建は文室祖郁、開山は江厳祖吸です。

 今川家、武田家、徳川家と戦国時代に三家に仕え、彼ら大名を海上から支援したのです。

 徳川家康は、江戸湾の奥に、敵水軍を迎え撃つ海賊衆による、ガイドラインを引きました。そのラインは、伊豆、三浦三崎から葛西江戸に到ります。

 歴史は、各地に散った紀州海賊衆の足跡を、紀州より相模湾東京湾に残しています。

 深川の大火、大震災(共に大正年間)により陽岳寺の本堂、庫裡は焼失し、惠心僧都作観世音、出山釈迦像、文殊九助の自書及画像、木像、石標並びに伏見義民の碑も共に焼失してしまいました。

 現在の本尊は震災後、京都花園(妙心寺)実相院という寺の本尊様を当寺にそのまま移したもので、昆溟再興と書かれております。仏師の名はわかりませんが、最近の区の調査で室町時代末期の十一面観世音菩薩座像であると判明しました。


 2世錐翁慧勤は、貞享4(1687)年2月20日没。妙心寺開山の、関山無相大師は、元徳2(1330)年、京都を去り、伊深に庵を結んだ。その後、錐翁は、寛永元(1624)年、正眼寺山に草庵を結ぶの記録がある。そして後、雪潭紹僕が禅堂を建立した。妙法山正眼寺は、始め初祖山円成寺と言い、寛文9(1669)年に改称したのです。

 また、錐翁は、深川にあって、芭蕉師匠の仏頂禅師が参禅したと伝えられる。 中興大室祖昌とす。 惠心僧都の作観世音を安置す。其の胎内仏は武田信玄の向井将監に与えたる木仏なりという。其の他坪内大隅守作出山釈迦像、文殊九助の自書及画像木像を蔵す。門前に山城伏見義民文殊九助霊所の石標並に伏見義民之碑(内大臣三條実美題額)を建つ。明治三十年五月設くる所なり。 当寺には向井将監忠勝及び画家二代目英一蝶、観嵩月の墓あり。

明治四十二年二月二十日発行 大日本名所図絵新撰東京名所第六十三編深川区之部より)

伏見義民について

全国にわたる天明の大飢饉(一七八三〜八七年)の頃、山城伏見奉行小堀政方は幾多の悪政を重ねた。このため伏見住民は塗炭の苦しみにあえいだ。文珠九助、丸屋九兵衛および麹伝兵衛らは幕府に直訴を企てひそかに江戸に入ったが、伝兵衛は小堀が放った捕吏に殺され、ようやく逃れた九助と九兵衛は直訴に成功して小堀罷免されたが、両名は天明八年(一七八八)獄死した。 三名の遺体はそれぞれ陽岳寺に引き取られ、厚く葬られたが、これはかれら三名が江戸にあって直訴をうかがっている間、当寺に庇護され、多大の援助を受けたからである。

(昭和四十三年三月一日 建設 東京都教育委員会


江東区立明治小学校 - Wikipediaより

1870年3月12日 - 儒学者村松溪翁が深川亀住町陽岳寺に深川閭校(明明館)開校。