鎌倉後期から南北朝初期の山城国の来派刀工。仮名は孫太郎。来国行の子とされ、生年は延応二年(1240)頃に比定される*1。長命であり、少なくとも81歳頃まで作刀を続けていることが確認できる。 山城国の来派 長命の刀工 関連事項 参考文献 山城国の来派 山城国の刀工の流派の一つである来派は、同国の粟田口派とならぶ二大流派として知られ、鎌倉中期以降に京都の名刀一派として台頭したとされる。来派の始祖である来国吉は高麗人と伝えられているが(『古刀銘尽大全』)、国吉作の刀は現存していない。 来派の作刀が本格化するのは国吉の子である国行の時代であり、国行が数々の名刀を作っていることから、事実上の来派の始祖を…