音楽における無思想性、匿名性はラディカルなメッセージの受け皿になりうる。そこにある律動がムーブメントを鼓舞する。そんなふうに考えると、つかわれない音楽などというものは、どこにもないのかもわからない。 *** 武満徹の『音、沈黙と測りあえるほどに』によれば、尺八の名人がその演奏において望む至上の音は、風が朽ちた竹藪を吹きぬけ鳴らす音であるという。なんだかよくわからんが、だいたいわかるような気もする。どっちなんだい。 近所の磯で早朝にトランペットを吹くおじいさんがいるのだが、なんとなく気持はわかる気がする。同様に、半島の港では浜辺で尺八を吹きながら歩いているおじいさんがいるが、これもおなじではない…