臨終用心抄

臨終用心抄

(一般)
りんじゅうようじんしょう

   日寛上人著  臨終用心抄  (富士宗学用集第3巻259〜269ページ)

   

御書に曰く、夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候が、念願すらく、人の寿命は無常也、出る

いき      いき ともしび   たとえ

気は入る気を待つ事なし、風の前の燈、尚譬にあらず、かしこきもはかなきも、老いたるも若きも、

        なら             ま

定めなき習い也、されば先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべしと云々。

 臨終の時、心が乱れる原因 

だんまつま

①断末魔の苦しみのため

断末魔の風が体中におきるとき、骨と肉が離れる。正法念経にいわく、命が尽きるとき風が皆動く、

          するど かたな

1000の鋭い刀で身を刺すようなものである。もし、善業があれば、苦悩は多くはない。インドの

けんしゅうろん そし じつ ふじつ

衆顕という人が書いた顕宗論にいわく、他人を謗ることを好み、実不実であっても人の心を傷つける

者は、風刀の苦しみをうける。

しょい

②魔の所為

ある山寺の法師が世におちて女人と住んでいた。この法師が最後に心安らかに臨終を迎えようと端

ひきふ

座合唱して念仏を唱えたが、この時妻が「私を捨ててどこにいくの」と首について引臥せた。法師

は「なにをするのだ。心安く臨終させよ」と念仏を唱えようとしたが又、妻が首について、心安く臨終

 にぜんごんもん さまた

するのを妨げた。爾前権門の行者でさえ、このように魔が働いて心安く臨終を迎えるのを妨げる。

況や本門寿量文底の行者においては魔が働くのは当然である。

③妻子の嘆きや財産に執着するため

だいぞう  う ばそく あいしゅう

 大蔵一覧にいわく、一生五戒を持った優婆塞(在家の男子)が臨終のとき、妻をあわれむ愛執があ

みょうどう

ったので後に妻の鼻の中の虫に生まれた。鎌倉時代の京都の明道上人は三大部の抄に執着があったの

しょうじゃ かま

で聖教のうえに小蛇(へび)となって居た。ある長者が金の釜を持っていたが、臨終に惜しいと思っ

へび

たので、その後、蛇となってこの釜のまわりでとぐろをまいた。

 よう  じん

 臨終の時、心が乱れないように用心するべき事 

だんまつま

①断末魔の時、心が乱れないようにするためにどう用心すればよいか

かくご

 平生から覚悟しておくべきである。

けんしゅうろん そし しょうせつ  つね

 一つには、顕宗論の意に准じていえば、他人を謗ってはいけない、人心を傷切してはいけない。常

 ひごろ

日頃の用心が必要。

う こ

 二つには、この身はもともと「有」だった訳ではなく、先世からの妄想でこの身を受けている。虚

くう かこ

空を囲むのを仮に名付けて「身」となしている。この身は「地」「水」「火」「風」の四大からなっ

ている。骨肉の固まっているのは「地大」であり、身に水分が潤っているのは「水大」であり、こ

の身が暖かいのは「火大」であり、動くのは「風大」である。この四つが虚空を囲んでいるのがこ

の身である。板や柱を集めて家を作っているようなものである。死後に体が冷えるのは「火大」が

去るから、遺体をそのままにしていると腐るのは「地大」が去るから、切っても血が出ないのは「水大」が

つち こわ

去るから、動かないのは「風大」が去るからである。死ぬときの苦しみは家を槌にて崩すように、木

はが

材を一つ一つ取り剥すようなものであるため、苦しむのである。断末魔とはこれをいう。この身の四

 りさん かくご

大が離散して、もとの法界の四大に帰ると覚悟すれば、驚くことはない。驚くことがなければ心が乱

れるようなことはない。

こしん  ぶっしん

三つには、常に御本尊とこの身が一体と思って唱題に励むべきである。己心と仏心が一心であると

さまた しょうじ とど        もうねん

悟れば臨終を妨げる悪業もあらず、生死に留まるべき妄念もない。

②魔の所為に対して、どう用心すればよいか

おうばく でんしんほうよう

 平生覚悟あるべきである。黄檗禅師の伝心法要にいわく、臨終の時、もし諸仏が来て種々の善相が

 ふ い

あっても随喜してはいけない、もし、諸悪が現じて、種々の相があっても怖畏の心を生じてはいけな

かなめ ずい き ふ い

い。心を亡じて円ならしむべし。これが臨終の要である。随喜怖畏の心を亡じて、ただ妙法を唱える

べきである。

③妻子財宝に対してどう用心すればよいか

どうじん どうじん

昔、仏門に入った道人がいた。道人が山中を歩いていると二人の人がいて、一人は横になっており、

たがや へび

一人が畑を耕していた。父子だと思って見ていると、子どもが蛇にかまれて死んでしまった。しかし、

なげ

父は嘆く色もなく、この子が死んだので、この子の分の食事をたべるよう道人に言った。道人は父に

父子の別れは悲しいはずなのになぜ悲しまないのか尋ねた。父いわく、「親子はわずかの契りである。

鳥が夜になって林に寄り合っていても、朝になれば方々に飛び去るようなものである。皆業にまか

せて別れるのである。なんの嘆きがあろうか」と。さて道人がその家に行ってみると、老女がいた。

老女は死んだ子の母親であったが、我が子が死んだことを聞いても嘆く色を見せなかった。そこで道人

ちぎ

はなぜ嘆かないのか尋ねたところ、老女いわく「母子の契りは渡し船に乗り合うようなものである。

岸に着けば散々になるようなものである。各業に任せて行くのである」とのこと。またこの死んだ子

の妻にも嘆きの色はなかった。道人の同じ尋ねに対し、妻は「夫婦の仲は市場に行き合う人のような

 いんねん

ものである。用事がすめば方々へ散るようなものである。」と答えた。このとき道人は万法の因縁は

仮なることだと悟った。

 又、財宝のことは、在家出家ともに、生きているうちに遺言して書き置くべきである。在家は財宝

 しゅうじゃく                                             け さ ころも  ゆず

に執着し、こうしよう、ああしようと心が乱れる。出家は袈裟・衣・聖教など、だれかれに譲ろうと

しる

思って心が乱れる。よって確かに書き記すべきである。妄念があってはならない。妻子、珍宝、及び

のぞ したが ふほういつ

王位は臨終に臨むときは随わず、ただ、戒及び施と不放逸は後世の伴侶となるのである。

 臨終の事は常々頼んでおくべきである。

 常に臨終のことを心に懸けて置くべきである。在家は妻子または先輩同志によく頼んで、自分が最

すす

後と見ればよく臨終を勧めてくれるように、出家は弟子や善知識と思う人に、常に頼み約束して置く

べきである。

せま

 よく、死期が迫ったとき本当のことをいうと本人が気力を落とすと思って、死期を考えさせないよ

うにすることがあるが、いわれのないことである。もし、弱ってきたら、一日二日、一時二時でも早

すす ぜん ちしき  き

く臨終を迎えることが大事だと思って、臨終を勧める人が大善知識なのである。少々経を読む者が祈

とう  きとう

濤だと言って、ちょっとでも長生きをするように、病人に唱題を勧めるのが祈濤になるというのは全

 ぐ

くの愚のいたりである。臨終を勧めることが肝心である。

 致悔集にいわく、臨終は、勧める人が肝要である。例えば、牧場の馬を取るには、まず乗って取る

のである。乗るときは、必ずうつむいて乗らなければ落馬してしまう。ちゃんとうつ向いて乗ろうと

そば

思っていても、いざという時、うつ向く事を忘れてしまうが、側から助言すれば、うつ向いて馬を取

 せ そば すす

ることができる。このように、病気死期に責められて臨終のことを忘れてしまうのを、側から勧める

ただ

ことが肝心なのである。その勧めかたは、唯題目を唱えることである。

 

 臨終の作法  (要旨)

 か  こうげとうみょう  たてまつ

一、臨終の作法はその場所を清浄にして、御本尊を掛け、香華燈明を奉るべきこと。

いき   ご

一、遅からず、早からず、だだ久しくただ長く、鈴の声をたやすことなかれ。気つきるをもって期と

する事。(本抄前段に、臨終の時、わた( )のつんだのを鼻の口にあてて、わたがゆるがない

    こう

  のをみて息が絶えたことを確認することから、臨終の事を属 之期という旨の記述があります。)

一、世間の雑談一切語るべからず。

しゅうしん 

一、病人の心残りになるような事(執心に留める事)を一切語るべからず。

一、看病人の腹立てる事、貧愛することを語るべからず。

    さわ

一、病人が何か尋ねるようなことがあったら、心に障らぬように答えること。

一、病人の近くに、心留まるような資財等置くべからず。

 すす

一、ただ、病人に対して、『何事も夢なりと忘れて下さい。南無妙法蓮華経と唱えましょう。』と勧

めることが肝心なり。

一、病人の心に違いたる人を、決して近づくべからざること。問い来る人の事を、いちいち病人に知

らすべかざる事。

一、病人の近所には、三四人に過ぎるべからず。人多ければ騒がしく、心乱れる事あり。

 たよ

一、魚鳥五辛を服し、酒に酔ひたる人、いかに親しき人であっても門内に入るべからず。天魔便りを

得て心乱れ、悪道に引き入る故なり。

きゅうき

一、家の中で魚を焼き、病人に嗅気およぶべからざる事。

のどかわ あてうるお

一、臨終の時は喉乾く故に、清紙に水をひたして、時々少々宛潤すべし、誰か水などと呼んで、あら

あらしく多くしぼり入るべからざること。

一、ただ今と見る時、御本尊を病人の目の前に向かえ、耳のそばより『臨終ただ今です。大聖人が

お迎えに来られました。南無妙法蓮華経と唱えて下さい。』と言って、病人の息に合わせ、速から

ず遅からず唱題すべし、すでに絶えきっても2時間ばかり耳へ題目を唱え入るべし、死しても底

あくしゅ

心あり、或いは魂去りやらず、死骸に唱題の声を聞かすれば、悪趣(悪道)に生まるる事なし。

いまし

一、死後の10時間も12時間も動かすべからず、これ古人の深き誡めなり。

一、看病人等あらくあたるべからず、或いは、かがめおとす事、返す返すあるべからず。

だんまつま  しゅったい

一、断末魔という風が身中に出来する時、骨と肉が離るるなり、死苦病苦の時なり、この時、指にて

  ばんせき おぼ ひとめ

  もあたる事なかれ、指一本にても、大磐石をなげかけるごとくに覚ゆるなり、人目にはさほどに

にくしん ぜん ちしき

  は見えねども、肉親(身体)の痛みいうばかりなし。一生の昵み只今限りなり、善知識も看病人

 いましめ

  も悲しむ心に住すべし、疎略の心存すべからず、古人の誡なり。惣じて、本尊にあらずば他の物

を見すべからず、妙法にあらずば他の音を聞かすべからず。

 あ ぎ だ ぜん ちしき おおぎ

一、一覧にいわく、阿耆陀王と云いし人、国王にて善知識にておはしけるが、臨終のとき看病人が扇

しんに  だいじゃ  かせんねん よし

  を顔に落とせしに、瞋恚を生じて、死して大蛇と生まれて加旋延にあいてこの由を語ると云々。

 か

  私に云く、此の意に依りて、死期に物をかくるに荒々と掛くべからず。或いはかけずとも云々。

一、御書に、不慮に臨終なんどの近き候はんには、魚鳥なんどを服させたまいても候へ、よみぬく

一、ば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱えさせたまい候べしと云々。すでに不慮の時、これを許

かね しゅうき ただ

  すを以て知んぬ。兼て臨終と見ば、之を服すべからず、尚これ臭気なり、況や直ちに服せんや。

一、臨終の相に依って後の生所を知る事。

にょぜ そうないし くきょうとう だいろん お せき

  法華経にいわく如是相乃至究境等云々、大論に云く、臨終に黒色なるは、地獄に堕つ等云々。赤

びゃくたんせい

  白端正(白色または桜色の成仏の相で行儀正しい)なるものは、天上(成仏)を得る。一代聖教

こくごう ろくどう びゃくごう  しせい

  を定むる名目に云く、黒業は六道に止り、白業は四聖となる云々。

ほうぼう

一、他宗謗法の行者は、たとえ善相ありとも、地獄に堕つべきこと。

ぜんしゅう さんがい しんごん ぜんむい ぜんどう てんとうきょうらん

  禅宗の三階は、あらわに声を失いて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導は、転倒狂乱す、

やから だんな

  他宗の祖師かくの如し。末弟の輩、その義を知るべし。師はこれ針のごとし、弟子檀那は糸の如

みょうじゅう  あ びごく

  し。その人命終して阿鼻獄に入るとはこれなり。

一、法華本門の行者は、不善相なれども、成仏疑いなき事

あんじんろく

  安心録にいわく、問う、もし臨終の時、或いは重病により正念を失脚し、唱題する事ができず、

むな あくしゅ お

  空しく死亡したら、悪趣(悪道)に堕ちるか、答う、ひとたび、妙法を信じて謗法せざるものは、

むりょうおくこう いちごしょう  た  くしょう

  無量億劫にも悪趣(悪道)に堕ちず。御書にいわく、一期生の中に、但だ一遍の口唱すら、悪道

に堕ちず、深く信受すべし云々。

一、臨終に唱題するものは、必ず成仏する事

     ま か ぞう じてんばい

  先ず平正に心に懸け、造次顛沛(わずかな間、とっさの場合)にも最も唱題すべし。また三宝に

か りんじゅうしょうねんしょうだいぼだい

  祈る事肝要なり。また善知識の教を得て、兼ねて死期を知り、臨終正念証大菩提と祈るべきなり。

多年の行功により、三宝の加護により、必ず臨終正念(臨終にあたり、心が迷わない事、邪念を

くしょう    けつじょう

  起こさない事)するなり、臨終正念にして、妙法を口唱すれば、決定疑い無きなり。

一、臨終の一念は、百年の行力に勝れたり、心力決定して猛利なること、火のごとく毒のごとし。小

なりといえども大事をなす。人の陣に入りて、身命を惜しまざるを名づけて健となすが如しと云

び び

  々。臨終には信力猛利のゆえに仏力・法力も、ともに弥々(少しずつ)顕れ即身成仏するなり。

 あ び

一、御書にいわく、我が弟子の中に、信心薄く浅き者は、臨終の時、阿鼻の相を現ずべし、その時、

うら

  我を恨むべからず等云々。  (−以上−)

新着ブログ: 臨終用心抄