字は子明。三国志の英雄。
孫策、孫権に仕え、数々の戦功を立てた。
若い頃は武勇のみの将だったが、孫権に知識を広げるべきであると薦められ、以後学問に励むようになった。
これより知勇兼備の将となり、その変わりように驚いた魯粛に「呉下の阿蒙にあらず」と言われ、呂蒙が「士、別れて三日、刮目して相待す」と返したという逸話がある*1。
のちに魯粛の後任を継いで大都督に任命され、策を講じて関羽を討ち、荊州を呉の支配下に置くという戦果を挙げた。
この後ほどなくして病死した。享年42。
「演義」では関羽の呪いによって孫権を罵倒し尽くした後に血を吐いて死んだ事になっている。
人気の高い関羽の仇敵なので、蜀を主役に据える作品では悪役として描かれることが多い(「人形劇三国志」など)。
*1:また、このことから成長のない人間を「呉下の阿蒙」と呼ぶようになった