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楼蘭

地理

楼蘭

ろうらん

タクラマカン砂漠東端に位置したオアシス都市国家

史記』に初出し、前77年に前漢の昭帝により鄯善(ぜんぜん)と改められるまで楼蘭と呼称した。この前後の状況は『漢書』西域傳鄯善國条に詳しい。鄯善と国名を改めた後も楼蘭は地名として用いられ、中国の資料にもその語を見ることが出来る。

鄯善は前漢滅亡後に勢力を拡大し、西域南道の幾つかのオアシス国家を統合した。ニヤ遺跡・エンデレ遺跡楼蘭遺址などからはこの時期のカローシュティー文書がスタイン等によって発見されている。

このガンダーラ語の文書中では、鄯善王は「クロライナの王」と書かれている。クロライナ、即ち楼蘭である。

なお、1900年にヘディンによって発見された、ロプ・ノール西岸の楼蘭遺址(漠然と一般的に「楼蘭」と言われる場合に多く示すところのそれである)は、三世紀頃の建設であり、楼蘭王国の王城ではない。