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廖立

社会

廖立

りょうりつ

中国後漢から三国時代の人物(生没年不詳)。字(あざな)は公淵。武陵郡?臨沅県の人。『三国志』に伝がある。

荊州を得た劉備に重用され、30代にならないうちに長沙太守?に抜擢され、諸葛亮にも龐統と並ぶ人材と賞賛を受けた。

215年?孫権の部将の呂蒙が長沙郡?に侵攻してくると、逃亡したが、劉備には引き続き重く用いられた。

そのまま蜀(蜀漢)の高官に上ったが、劉備の死後、劉禅の時代になると自分の待遇に不満を持つようになり、蒋琬と李邵?に対して劉備諸葛亮の人事について暴言を吐いた。それを知った諸葛亮の弾劾を受けて死罪になるところを劉禅の計らいにより汶山郡に流罪となった。

諸葛亮の公正さに対する信頼はその後も変わりがなく、234年?諸葛亮が死去すると、自分の官職への復帰の道は閉ざされたと嘆いた。

その後も流罪地で長命を保ったが、家族が中央に戻れたのは彼の死後になってからであった。

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