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ゾルゲ

(一般)
ぞるげ

ゾルゲ、リヒャルト(Richard Sorge)1895.10.4〜1944.11.7。南カフカス(現アゼルバイジャン)バクー出身。
ドイツ人石油技師の父とロシア人の母の間に生まれ、3歳のときドイツに移住、以降ベルリンで暮らす。
第一次世界大戦に出兵し足に重傷を負う。
ベルリン大学に入学し医学を志すが、その後1918年キール大学に、1919年ハンブルク大学に移籍し政治経済学博士号を取得。
同年12月、設立されたばかりのドイツ共産党に入党。党員番号878。1924年ドイツ共産党の指令でモスクワへ行き、帰化ソ連市民権を得、ソ連共産党に入党。党員番号49927。
マルクス=レーニン研究所に所属しコミンテルンの仕事に就く。
1930年1月上海に渡航、第四赤軍のエージェントとして主に軍事情報分析に従事、日本軍の軍事力と動向を探る。この頃アメリカ人ジャーナリスト・スメドレーの紹介で朝日新聞記者尾崎秀実(おざき・ほつみ)と知り合う。
1933年モスクワへ戻った後、ドイツ新聞「フランクフルター・ツァイトゥンク(Frankfurter Zeitung)」記者として日本へ派遣。ナチス党員としてドイツ大使館の施設情報担当となる。駐日大使の信頼厚く、本国からの指令など重要機密の殆どに接触できる立場にあったという。
自らの立場を生かしドイツの軍事動向を探りモスクワに通信、一方で、近衛文麿内閣嘱託職にあった尾崎らを通じ対日情報収集を行った。
1941年10月、特別高等警察により検挙。国防保安法、治安維持法、軍機保護法違反で死刑判決を言い渡され、1944年11月7日処刑。戦後、多摩墓地に埋葬された。
軍事方法分析の能力を生かし、収集した情報を元に日独の動向を予測。彼のもたらす情報は多分に重大な意味を含んだが、当時スターリンは猜疑心などから党幹部を次々に粛正、第四赤軍派も処刑されるなどゾルゲの立場も微妙なものであり、実際に二重スパイ嫌疑もかけられていたようだ。
しかし1964年、その功績が再評価されソ連政府より最高ソ連英雄勲章を授与。

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