日本では、地域おこしの観光に関心がもたれていますが、実体は金太郎飴にちかいものです。 随分以前に、マレーシアのランカウェイとペナン、マラッカ、シンガポールにいったことがありますが、その時の印象は、昔の植民地で、架橋の人の多い街というイメージでした。 最近、これらの街は、プラナカン文化として統一した観光のスポットになっていることを知りました。 安里陽子氏によると 1900 年に、シンガポール・プラナカン協会が、会員800人で創設されます。当時のプラナカン共同体は15000人でした。シンガポールの独立後急速に協会が力を失い、1994 年には会員数がわずか 300 人あまりにまで落ち込みます。そこか…