毎度、変り映えもなく、胡内にございます。 敗戦となりまして、八か月あまり経ちました昭和二十一年の四月二十九日、復員命令がくだりました。武昌にある武漢大学の階段教室が、大相撲の升席のように狭く区切られていて、そこで手足を伸ばすこともできずに寝起きしていたのですが、出発することになりました。 じつはこれは「物語」です。いゝえ作り噺というのではございません。たまたまあたしの誕生日と重なっておりましたので、日付はたしかでございます。たゞ命令をじっさいに聴いた兵隊は一人もありません。出発だとなったものですから、きっと復員命令がくだったのだろうと誰かが云い出し、全員に伝わっていっただけでございます。 また…