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巡洋艦

(一般)
じゅんようかん

第二次世界大戦までと、その後とで巡洋艦の概念はかなり違っている。第二次世界大戦までの巡洋艦は、排水量と砲力が戦艦と駆逐艦の間にあり、速力と航続力が大きく、優れた航洋性を有する水上戦闘艦艇をいった。艦隊前面の偵察・警戒、索敵、主力部隊の直衛、通商破壊、陸上砲撃、上陸作戦支援、海外警備など、戦時、平時を通じてあらゆる任務に用いられた。現代の巡洋艦は、有力な艦隊防空能力、水上打撃力、対潜能力、陸上攻撃能力、指揮機能などを一つ、またはいくつか備え、航空母艦と行動をともにしてその直衛にあたるか、あるいは自ら水上部隊の中核として行動しうる能力をもち、駆逐艦より一般的に大きく、おおむね基準排水量5000トン以上、航洋力、航続力に優れ、30ノット以上の高速を有する水上戦闘艦艇をいう。
LYCOSディクショリ 百科事典(ポケット版)より

近代海軍初期〜日露戦争

「巡洋艦」とは文字通り巡航(クルーズ)できる軍艦のことであり、単独で長期間行動できることを条件に含んでいた。これは敵艦艇を求めて、長期海洋を航行する艦艇を、艦型を問わず「クルーザー」と称した帆走軍艦時代の名残である。航続距離が短く、給炭艦などの支援を前提としていた水雷艇や駆逐艦との(当時における)違いはその点にあった。
初期の巡洋艦は大きく三種類に分けられ、舷側装甲を持つ装甲巡洋艦、水線甲板のみに装甲を施した防護巡洋艦、そして装甲を持たない偵察巡洋艦があった。装甲巡洋艦は主力艦に次ぐサイズの艦種であり、日露戦争などでは主力艦隊の一部としても運用された。防護巡洋艦は本来は中小海軍向け万能艦として建造されたが、さまざまな任務をこなせる使い勝手のよさから、列強でも用いられるようになった。偵察巡洋艦は偵察のために作られた(先述したとおり、それ以下のサイズの艦艇は石炭搭載量などの問題から長期間の独立行動ができなかった)が、やはり色々な任務に投入されることになった。

ドレッドノート〜第一次世界大戦

1906年に英海軍のフィッシャー提督は新戦艦ドレッドノートを送り出し、さらに同様の思想*1からなる巡洋戦艦(弩級装甲巡洋艦)インヴィンシブル級をも作り出した。
結果、主力艦同士の砲戦に加わることのできなくなった装甲巡洋艦という艦種が消滅/巡洋戦艦に吸収された。
主力艦の速度の向上から相対的に低速化した偵察巡洋艦は「偵察のできない巡洋艦」に転落、最終的に防護巡洋艦の役割等と合流しつつ近代的な軽巡洋艦へと移行した。

海軍休日〜第二次世界大戦前後

巡洋艦には重巡洋艦重巡)と軽巡洋艦軽巡)の2区分があった。軽巡は、主に植民地艦隊の旗艦や水雷戦隊の旗艦として使うことが前提されていて、要するに「駆逐艦では足りない仕事をさせる」という明快な存在意義があった。
これに対して重巡洋艦は、いくぶんか、政治的な理由で出現した。まずワシントン条約で主力艦である戦艦が制限されたので、制限対象でなかった補助艦でそれを補えばいいじゃんとばかりに各国が重装艦を作り始めたのが起源である。さらにロンドン条約で補助艦も制限されたので、各国とも条約の制限に従いつつ性能を追求して、条約型巡洋艦が生まれた。

大戦後

条約の制限がなくなり、軽巡、重巡の区分は事実上消滅した。戦艦の意義も失われたので「駆逐艦より大きな水上戦闘艦」は全部巡洋艦だということになった。もっとも「駆逐艦より大きな」は極めて曖昧な基準であり、米海軍のスプルーアンス級は満載排水量8000トンとかいう「巡洋艦よりも大きな駆逐艦」だったりする*2

*1:単一口径巨砲を中央線上に搭載、蒸気タービンを採用

*2:ミサイル駆逐艦キッド級にいたっては9500トン

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