吉川英治『私本太平記』全13巻(毎日新聞社、1959~62)定価各260円 吉川英治の時代というものが、たしかにあったようだ。徳川無声の語りによる『宮本武蔵』ラジオ朗読番組放送時間には、銭湯ががら空きになったという伝説は戦前の噺だ。戦後になっても、出世作『鳴門秘帖』はテレビ時代劇にもなった。観ていた少年(つまり私)は原作者の名前なんぞ知ろうともしなかったけれども。 戦後執筆の大作となれば『私本太平記』と『新・平家物語』だろう。その頃はすでに、辺りを払う大家による尊いお仕事といった印象だった。 父の牧場経営が失敗して家産傾き、騎手を夢見た馬好きの少年は小学校も中退して、かずかずの職業を経験しなけ…