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沖縄市

(地理)
おきなわし

沖縄本島中部に位置する、沖縄県第二の都市。
嘉手納町・読谷村・恩納村・うるま市・北中城村・北谷町に囲まれ、美東地区で太平洋に面している。

データ

人口:128,635 人(2004年4月末現在)
面積:49.00km2

あゆみ(沖縄市役所ホームページより)

沖縄市の前身は、琉球王国時代の越来間切と美里間切(1666年に越来間切から分離)でした。越来間切と美里間切は廃藩置県(1879年)後、明治41年(1908年)に施行された「沖縄県及島嶼町村制」により越来村、美里村となります。

昭和20年の沖縄戦では、当時2万人を数えた市域の人口の3分に1にあたる5,300人が犠牲となり、移民先のサイパンやテニアンなどでも両村の出身者の多くが犠牲になりました。戦後は、米軍政府が収容所を拠点に地域の整備を図り、その結果、旧越来村地域に古謝市(胡差市)が誕生します。旧美里村地域は前原市に吸収されますが、昭和21年に行政機構の改革により美里村、越来村が再び誕生します。

昭和23年には大きな台風が二度にわたって沖縄を襲い、米軍施設の大半が破壊されます。膨大な基地建設予算が投入され本格的な基地建設が始まると、県内外から職を求めて多くの人が集まり、基地に沿って市街地が形成されます。越来村は人口の急増とともに都市化が進行し、昭和31年の6月13日にコザ村と名称を変え、7月1日に市に昇格します。コザ市、美里村は嘉手納基地に隣接しているため、基地から派生する事件・事故が頻発し、昭和45年(1970年)12月20日には、米軍人の交通事故処理に端を発した米軍車両焼き討ち事件、いわゆる「コザ騒動」が発生します。同事件は長期にわたって異民族統治下にあった沖縄人の人権拡大、復帰運動にも大きな影響を与えたといわれています。

沖縄の復帰直後の昭和49年(1974年)4月1日、コザ市と美里村が合併し「沖縄市」が誕生します。1666年の分離から300年余をかけての再合併となりました。

沖縄市は、基地経済からの脱却を目指し、昭和49年10月に「国際文化観光都市」を宣言。社会資本の整備を進めるとともに、商店街の近代化をはじめ「全島エイサーまつり」(昭和52年9月)や「第42回国民体育大会」(昭和62年9月)の開催、市民平和の日の制定(平成5年3月)など、新しいまちづくりに取り組んできました。
21世紀を迎えた現在、沖縄市では「国際文化観光都市」の実現に向けて、「東部海浜開発事業」、「こども未来ゾーン整備事業」、「中の町再開発事業」などの諸事業に取り組んでいます。

市町村コード: 47211-5

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