「食べ物で遊ぶ」というのは、一般には「よくないこと」として認識されている。それは、食べ物を粗末にすることがよくないこと、だからである。しかし、食べ物で遊ぶ、ということには、二つの異なる側面が存在する。
ひとつは、食べ物を、食べ物ではない【素材】としてとらえ、主に食べることを放棄した人や、食べない前提の人が、食からの現実逃避や、単なるアートとして「遊ぶ」こと。もうひとつは、「食べる」こと自体を楽しむための【演出】として「遊ぶ」こと。前者は、「遊んだ」結果を口にすることはない、もしくは望まないし、後者は、むしろ、食べることを促進するために「遊ぶ」ので、全く方向性が異なる。
このキーワードの対象となるのは後者である。例えばチーズフォンデュやチョコレートフォンデュ。食べることだけではなく食べる過程をも楽しむもの。同様に、流しそうめんや、たこ焼きパーティー、目の前の網で自分で焼く焼き肉等も含めてもよい。
「遊ぶ」という言葉に、必要以上に罪悪感や嫌悪感を抱く人も少なくないかとは思う。ただ、自動車のハンドルに「遊び」があったほうが事故が少なくなるように、このような「ゆとり」は、ある程度はあったほうがいい、人生の潤滑油であるという考え方もできるだろう。ただ、上記のような前提を、伝えないまま「食べ物で遊ぼう」と書くと、表面上の言葉面だけをつかまえて「けしからん」とおっしゃる方がいるかもしれない。だからこそ「食べ物で遊ばない」と、あえて断ってみる。
食を、ひいては人生を、楽しみ、美味しく演出するためのキーワード、それが「食べ物で遊ばない」である。