江戸時代の弘前藩主は津軽氏である。移封されることもなく、江戸時代ずっと続いた。菩提寺もずっと弘前にあったが、戦国時代には藩主とともに移動している。その菩提寺は長勝寺である。司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の中の「北のまほろば」の中で、長勝寺とその周辺について、「いまの弘前の地に、高岡(鷹岡)という標高18メートルほどのひくい丘が隆起していた。[中略]。(この丘からは)津軽平野を一望に見ることができ、さらには天然の要害として岩木川がめぐり、西方と北方の備えをなしている。ただめざわりなのは、城の南に茂森という丘のあることだった。攻城する側がこれを奪えば、付城に使える。 「あれを平らに削れ」などと、津…