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社会

麋芳

びほう

後漢から三国時代の人物(生没年不詳)。東海郡朐県の人。字(あざな)は子方麋竺の弟。妹は劉備(蜀(蜀漢)の初代皇帝)の正妻。

徐州の豪族出身で、当初は兄と共に陶謙に仕えていたが、陶謙徐州劉備に譲るとそのまま劉備に仕えた。

兄と共に曹操から招聘を受けたこともあるが応じず、劉備徐州を追われた後も付き従った。

劉備荊州を得て、さらに益州に進出すると、荊州方面を任された関羽の指揮下に入った。

219年?関羽が北上して曹操の部将の曹仁が守備する樊城を攻撃すると、士仁と共に留守を任されたが、失敗を関羽に厳しく咎められ不安となった。ちょうどそのとき、関羽の背後をつくため曹操とひそかに手を結んだ孫権の部将の呂蒙が急に荊州に攻撃をかけてきたため、関羽への不満もあり士仁と共にさしたる抵抗もしないままあっさり降伏してしまった。降伏後もその態度を孫権の部下であった虞翻に厳しく非難された。

孫権の元では、部将の賀斉?の指揮下で出陣した記録が残る。

蜀漢楊戯は241年?に著した『季漢輔臣賛?』で麋芳ら降伏者を批判した。

三国志演義』では、劉備が報復のために攻め寄せた夷陵の戦いで、劣勢となった孫権軍を見限って劉備の元に帰参しようと傅士仁と共に馬忠を暗殺してその首を持参したが、劉備に許されず関興に斬り殺された。

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