戦前の文部省直轄研究所の一つ。 昭和7(1932)年8月設立。品川区上大崎長者丸に庁舎が成り昭和9年5月に開所式。9科(歴史、国文、芸術、哲学、教区、法政、経済、自然科学、思想)に分かれ、研究嘱託・助手が置かれた。また、研究部、事業部を置く。 昭和18年11月廃止。国民練成所と合併して教学練成所となり、小金井に移転。 教学練成所は昭和20年10月廃止、教育研修所となり、昭和24年6月、国立教育研究所となる。 参考:『国史大辞典』(吉川弘文館)
東京大学百年史 部局史4 新聞研究所 P495 新聞研究所官制案は議会提出の寸前で、第九十二帝国議会も次の第一国会(昭和二十二年五月二十 日召集、同十二月九日閉会)も見送られている。その主要な理由は 、官制案第二条に「研究並びに教育を掌る」 とあること について、総理庁(当時)法制局から異議が提出されてその処理が難航したためであった。 「法制的に行悩み」 東京大学新聞 昭和22年10月16日 補正案を提示(文部省)問題となった「教育」 法制局の異議は、学校教育法によれば、研究所は研究施設であって教育施設ではなく、従って、新聞研究所官制案第二条に「並びに教育」とあるのは、学校教育法に 抵触する、…