日本では一般に、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了してからの数年間、おおよそ1945年〜1950年を指すことが多い。 都会では空襲後の廃墟の間に住む浮浪孤児や、進駐軍(占領軍)である米軍兵士の姿があちこちに見え、人々が経済の混乱や貧困から脱出しようと日々の生活を送っている中、アメリカから持ち込まれた音楽や食料物資などがまぶしく見えた時代でもある。
いつのまに、 「半袖」を着るようになったか、 自分でも、覚えていない。 まるで、 「冬が居座って」いるかのように、 寒い寒いと、思っていたけど、 テレビからは、 「熱中症」の、ニュースが報道されている。 「春の頭」を 踏んづけるように、 冬!から夏!に、なっていく。 「地球」も変容して、 「日本」も変容するでしょうと、 気象予報士も、 地質学者も、 大学教授も、 いきなり、 「手のひら」返すが如く、 「後出しジャンケン」 約、100年近く生きてきた、 高齢者は、 生き字引のような人間だけど、 「わたしゃ、こんなこと生まれて初めて!」 と、おっしゃる。 「100年に一度の周期」で、 地球も、歴史…
今月は西神ニュータウン9条の会の講演会があります。毎年1回、いつもこの時期に著名人を招いています。昨年は平田オリザさんで、芸術の持つ社会的な役割といった話をしていただきました。 今年は講談師の神田香織さんです。『はだしのゲンを語り続けて38年、いま思うこと』を4月20日で開催します。是非、ご参加ください。 西神9条の会 (www.ne.jp) さて今月も充実したHPになっています。しかし読んでいてふと思ったのは、まじめな話が多いのです。エッセイもそうですが「ジョー句」の川柳、「街角ギャラリー」でも笑えるものが少ないので、肩の力の抜けるようなもの、笑いを誘うものを挟み込む工夫がいると思いました。…
今月は西神ニュータウン9条の会の講演会があります。毎年1回、いつもこの時期に著名人を招いています。昨年は平田オリザさんで、芸術の持つ社会的な役割といった話をしていただきました。 今年は講談師の神田香織さんです。『はだしのゲンを語り続けて38年、いま思うこと』を4月20日で開催します。是非、ご参加ください。 さて今月も充実したHPになっています。しかし読んでいてふと思ったのは、まじめな話が多いのです。エッセイもそうですが「ジョー句」の川柳、「街角ギャラリー」でも笑えるものが少ないので、肩の力の抜けるようなもの、笑いを誘うものを挟み込む工夫がいると思いました。 エッセイの感想を書いておきます。 カ…
悪魔を買った令嬢:川口松太郎 1949年(昭24)日比谷出版社刊。 1949年(昭24)1月~12月 雑誌「スタイル」連載。 川口松太郎の現代小説の一作。彼は通俗小説の大家と呼ばれたが、小説というものが「何かを物語るもの」という本質を有するかぎり、快筆をふるって読ませる小説を量産した事績を埋没させるべきではないと思う。少なくともその時代の作品遺産として読み返されるべきだろう。 終戦直後の東京の風景・風俗を描き出している。清純派女優として人気の高い関暁子は、両親をはじめ三人の姉妹と幼い弟までの大所帯の生計を担いながら生真面目そのものの模範的な生き方をしている。奔放な性格の妹の家出に触発されて、そ…
週末、小樽を歩いた。1年ぶりのことだ。今回も、天気に恵まれた。これまで10回以上訪れているが、不思議なことに、悪天候だったことはない。 明治から大正にかけては北海道における経済・文化・商業の中心地として栄え、往時は「北のウォール街」と呼ばれた。そして、小樽といえば、運河。70年代後半、保存を訴える市民団体と行政側が対立。当時は札幌にいたので、埋め立て前の写真を撮っておこうと何度も足を運んだ。記録したポジフィルムは、いまも大量に保管してある。あの頃は、周囲にドブの臭いが漂い、いまにも崩れそうな古い建物がひしめき合っていた。幅40mの運河の半分の埋め立てが決まり、片側3車線の道路をつくる工事が実施…
子宝の湯の斜め隣には江戸末期から明治初期の頃に建てられたという旅館・萬徳が建っていた。青梅街道沿いにあったものを移築したものとのことで、終戦直後ぐらいの時期の様子を再現しているという。 正面から入ると土間があって左右に上がり框がある。信州の木曽路に知り合いの実家で江戸末期頃からの脇本陣の家があって泊まらせて貰ったことがあるがちょうどこんな感じだったのを思い出す。 和室の客部屋に入ると、廊下とは障子で、隣室とは襖で仕切られている。布団を収納する押し入れはないので、各部屋用の布団を収納している専用の布団部屋があるのだろう。大学の運動部用の明治時代の古い寮に泊ったことがあるがちょうどこんな感じの造り…
人間の心を感じる言葉…それが俳句 児 島 庸 晃 そもそもわれわれ個人が本を読もうと思う時とはどんなときなのだろう。日常生活の中で、日々を満足に充たしている人はそのことだけで充分に毎日を過ごせるのだろうと私は思うのだが、だが暮らしの中で、ふあーっと一抹の空虚感を感じることはないだろうか。寂しさやつまらなさが心の何処かに留まってあることはないのだろうか。一個人では日々を満足には暮らせない時代にいまはある。他人との心のコミニュケーションが上手くなされなければ、日々の生き方に躓く。心を豊かにしていなければ寂しさや悲しみが発生。精神状態が壊れる。そこで生き方を変えなければならないのだが、その精神の安定…
賀川豊彦の協同組合論とマルクスの疎外・協働・自由論ー未来への主体的学びー 賀川豊彦の生涯の社会活動と著作活動の概要 本論では、賀川豊彦の友愛による協同組合の精神と、マルクスの労働疎外論から未来社会を模索していくものである。この未来社会の実現には、利潤第一主義、弱肉強食の競争主義、格差と無縁社会など、資本主義的利己による自由主義の矛盾からの解放を展望しているものである。 労働疎外からの克服、友愛、協働・協同、利他主義的による人間的自由、それぞれの個性を尊重して、個々が仲間の絆を伴っての人格の発達がされていく社会を探究していくものである。ここでは、人びとの絶えざる学び・生涯学習が不可欠になるのであ…
将棋の第 82 期名人戦が、東京都のホテルで開幕しました。藤井聡太八冠と豊島将之 九段の対戦です。どのような対局になるのか気になります。 ...と言っても、将 棋のことはよくわかりませんが ... (笑) 将棋には興味深い話があるのをご存じですか? あ、安心してください!将棋 の戦法のことや詰将棋のことではありません!将棋の歴史のことです! 余談ですが、芸能人である、とにかく明るい安村さんの「安心してください!履いて いますから!」というネタ、個人的に好きです。このネタが好きな方いましたら、コメ ントください! 将棋と GHQ (連合国軍総司令部)には、共通点があります。プロ棋士の升田幸三さ …
一条真也です。東京から小倉に戻ってきました。わたしも忙しいし、あまり政治の話には首を突っ込みたくないのですが、ブログ「ブルックリンでオペラを」で紹介した映画を観たとき以上の違和感をおぼえたので、この記事を書きました。 アメリカを訪問中の岸田総理大臣は、バイデン大統領と会談し、中国を念頭に緊密に連携していくことで一致しました。その後、両首脳は日本時間の11日午前、ホワイトハウスでの公式晩餐会に出席しました。晩餐会は非常に和やかな雰囲気で開かれ、岸田総理が挨拶でジョークを連発し、会場の笑いを誘う場面もあったとか。YOASOBIが招かれたのはよく意味がわかりませんが、まあ無事に晩餐会が終わって良かっ…
今回はすでに旅立ったマガンの飛ぶ姿。 今回も写真とは関係ない話。 小学生の時、終戦直後は食料不足で、その頃の子供たちの多くは栄養失調だったと先生に教えられ、 だから僕も体が細いのだねと母に言った。 母が言うには、食べ物は豊富にあったと言う。 子供が多く、使用人もいて配給米では到底足りないところだったが、 旅館は母が営み、父は柾屋(まさや)だった。 (トタン屋根になる前は、薄い木(柾)を瓦のように並べて屋根に打ち付けていた。) 農家ではワラ屋根がまだあって、柾屋根に替える時期だったよう。 農家はお金が無く、こちらは食料がないことから、工賃は米や野菜の農作物だった。 だから食料は十分にあって、旅館…
前稿では、今日における中学校社会科の構造について、 いわゆるπ型の形式が一般的であるというお話をした。 つまり1、2年生の間は地理と歴史を学年で分けず、 むしろ地理で幾らか単元を学習したら歴史の学習に移り、 そこで幾つか単元を終えたら再び地理の学習に戻る、という形式である。 ちなみにこうした地理と歴史の学習方法を「地歴並行学習」という。 なぜこのような学習形態になったのか。 まぁそれなりの経緯があるようで、社会科という教科の在り方をめぐって、 「1つの教科としての総合性を目指すべきか」それとも 「各分野(地理・歴史・経済・政治・社会など)の独自性を重視すべきか」という 議論が背景にあったらしい…
【「米圧力の歴史」日米不平等協定で半導体撃沈!】日本の半導体産業はどうしてダメになったのか?~中曽根元首相「対米全面服従」日米半導体協定が日本の衰退の始まり~ ■日本の半導体産業はどうしてダメになったのか? ITmedia 2021年12月17日 https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2112/17/news024.html ~~~ その昔、日本半導体が世界の半分を占めた時期がある。 若い人からすると、「そんな時代もあったの?」となるだろうが、ビジネス向けのPCが登場し、バブル景気に入ろうかという1980年代のことだ。 しかし、そこから約40年…
( 終戦直後の1945年(昭和20年) 「真の天皇は自分である」と名乗り出た人がいます。熊沢天皇です。 (我こそは熊沢天皇) 太平洋戦争で負け、日本が史上初めて外国に占領されると世の中は混乱します。・・と同時に民主主義の世の中になり、自由に物が言えるようになりました。さらに天皇など皇室に対する不敬罪が廃止されたことなどから、「我こそが南朝の末裔で正統な皇位継承者である」と自称する人間が現れました。名古屋で雑貨商を営んでいた熊沢寛道、通称・熊沢天皇です。 どう見ても、その辺にいるおっさんにしか見えませんが、熊沢寛道氏は「俺は天皇の子孫であり、しかも正当な南朝の流れを組むのだ、だから本当は私が本当…
マガンの特長は、オレンジ色のくちばしの付け根が白く、胸に黒い線が入っている。 終戦直後の私が生まれる前の、写真と関係ない話。 朝鮮人の捕虜収容場が炭鉱にあって、 父はその副隊長だったそうだ。 隊長が捕虜に対しきつく対応していたので、 父はこっそりと食料などを差し入れしていたとのこと。 終戦になって、その捕虜たちは朝鮮に帰るまでの間、 お世話になったと我が家(旅館)に泊り、 離れの部屋には隊長が隠れ住んでいて、 バレないようにするのが大変だったと聞いている。 その朝鮮人たちが、朝鮮で無事に暮らしているだろうかと心配していた話が記憶にある。 上の写真の上の方が白っぽくなっているが、 下の写真の渦巻…