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対象a

(一般)
たいしょうあー

精神分析家、精神科医ラカンの用語。基本的な規定としては、「欲望の原因としての対象」。

初期の理論での小文字の他者、および、クラインの部分対象、ウィニコットの移行対象など対象関係論における対象概念が背景にある。

シニフィアンではなく「単なる文字」であって、象徴界ではなく想像界に属する。

あるいは、現実界、象徴界、想像界の結び目に位置する。

経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。

単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの。

http://www.shobunsha.co.jp/h-old/rakan/10.html

自らの世界の中に象徴化された欲望の対象の痕跡
http://www.puni.net/~aniki/moe2.htm

満たされない欲動の向かうところ
http://www.hibun.tsukuba.ac.jp/reports/lakan-yj.htm

他人の中に埋め込まれ、私にとって非人間的で疎遠で、鏡に映りそうで映らず、それでいて確実に私の一部で、私が私を人間だと規定するに際して、私が根拠としてそこにしがみついているようなもの、これをラカンの用語で「対象a」と言う。対象aの代表格は、乳房、糞便、声、まなざしの四つ組である。

新宮一成、『ラカンの精神分析』、1995年、講談社現代新書

ここで言われている、「失われた対象としての眼差し」とは何を意味するのだろうか。ラカンのよれば、眼差しはそれ自身のなかに対象「a」を含み持っている注3。対象「a」とは、ラカンの定式において欠如の象徴を表す記号である。たとえば口唇期においてはそれは乳房となり、肛門期においては排泄の等価物となる。対象「a」は、欲望の中心にある欠如の代理作用をするが、その一方で欲望の対象が永遠に失われていること、その「不在」を常に指し示すのである。したがってラカンのいう「眼差し」と、身体的器官としての肉眼を同一視することはできない。ラカンは例として、動物における擬態、とりわけ昆虫などにみられる眼状斑を引き合いに出している。目の機能を思わせるこの模様は、しかしただのシミでしかない。それにも関わらず、このシミはそれを見る主体に「見られている」という感覚を呼び起こす。つまり、わたしたちは目の機能としての「知覚すること」ではなく、眼差しそのものを欲望し、また同時に掻き立てるのであるが、その交錯の基底には対象の不在が横たわっているのである。

http://boid.pobox.ne.jp/contents/review/misonoo.htm

 この「何でもないもの」、我々が決定的答えとして求めてやまないにも関わらず、常に逃げ去り、ただ空虚な痕跡としてしか手にできないもの、それがラカンのタームで対象aと呼ばれるものである。
 『セミネール』11巻第13講において、対象aとしての眼差しregardの機能を説明するにあたり、ラカンは珍しく若い頃の思い出話をする。それは次のようなものである。
 若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。この時、船の上で、彼の同僚である無教養な男が、海上を指差した。そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。
 眼差しとは何か。それは例えば、催眠術師の使う「光るもの」であり、擬態を使う昆虫の背負った眼状の斑紋である。眼差しは、声、糞便、乳房などと並んで、「主体が成立するために手放した器官としての何か」である対象aの一例である29。
 暗い部屋に一人入り、誰かの視線を感じてハッと振り返る。何かが光った気がした。が、良く見てみると、それは鏡であり、誰かが見ていると思ったのは、鏡に映った自分の視線だったのだ。この「なんだ、私か」と気付く一瞬前の輝き、それが眼差しである。
 若きジャックが、この輝くものが我々を眼差しているとう事実に、つまり我々が見るより前から我々を眼差しているものがあるということに気付いたのは、まさにその時の彼が、無教養で粗野な漁師達の中で、斑紋のように場違いに浮き立ったシミ的存在であったからである。つまりこの時彼は、「あ、あれは私じゃないか」とハッとしたのだ。海の上ではカンが浮いていて、船の上ではラカンが浮いていた、というわけである。
 この時の空缶、眼差し、何でもないもの、すなわち対象a、それがカラカラと空しく足元に転がってくる。雄大な答えの代わりに、肩透かしのようなあっけないものが転がってくる。
 我々の足元にも、何かが転がってきた。
 拾い上げてみる。

http://zankyo.web.infoseek.co.jp/text/iminoimi/imi.html#6

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