台湾の歌手。台湾原住民族プユマ族(ピュマ族/卑南族)出身。
1972年8月9日、台湾東海岸の都市台東郊外の村で生まれる。
台湾の勝ち抜き歌謡番組“五燈奨”で25人勝ち抜きを果たし優勝。
その後台北のライブハウスで歌っていたところ、フォワードレコード(豐華唱片)にスカウトされる。
1996年レコード会社の先輩チャン・ユーシェン(張雨生)のアルバムでデュエットをしCDデビュー。同年12月アルバム『姊妹』にて正式デビュー。新人ながら連続9週売り上げチャート第一位の記録を打ち立て、台湾だけで100万枚以上の売り上げを記録する。
翌1997年発売のセカンドアルバム『BADBOY』も連続9週チャート第一位。台湾のみならず香港・シンガポール・大陸を席捲し、台湾ではそれまで注目されていなかった原住民族の歌手に注目が集まり“原住民ブーム”を巻き起こす。
2000年5月、陳水扁氏の総統就任式にて国歌を獻唱したため、中華人民共和国(中国)政府の怒りに触れ“封殺事件”と言われる大陸での出演CMの放送取りやめ、コンサートの中止などという事態に追い込まれる。(中国政府は関与を否定している)
2001年レコード会社をワーナー(華納)に移籍、夏には大陸のイベントにも参加し復帰を果たす。
2002年アメリカTIME誌アジアン・ヒーローズ特集号アジア版の表紙を飾る。
ちなみに中華圏の芸能人で選出されたのはジャッキー・チェンとアーメイの2人のみ。
2004年久々に大陸のCMに出演するも、6月台湾独立に抗議する大学生達のデモによりイベントへの出演が急遽取りやめになる“杭州事件”に遭遇。その後「大陸におもねっている」と台湾国内でも一部政治家から非難を浴びる。
本人はこれまで一貫して政治的立場を表明しておらず、出身地域が保守的な場所ということも考えると“台湾独立派”というのは濡れ衣であろう。
類い希なる実力を持ちながら、政治に翻弄されている気の毒な台湾国産天后である。