中国盛唐の詩人。712〜770
字は子美、号は少陵。襄陽(湖北省)出身。杜審言の孫。
名門の出ではあるが、若いころは貧乏で、30歳までは放浪生活を送る。
長安へ出て科挙に及第できず、李白や高適と交遊する。
40歳で官職を得るものの、安禄山の乱や大飢饉に遭い、苦難の生活を余儀なくされる。
結果、官職を捨て、妻子を連れて放浪の旅に出た。
成都(四川省)に草堂を構えたが、旅の途中、舟の中で没した。
李白と並ぶ詩人で「詩聖」と称された。
詩風は雄渾にして沈痛、細やかに人間心理を穿つ。
『杜工部集』(二〇巻)がある。