次の引用は『ゴダール全評論・全発言Ⅰ 1950-1967』(奥村昭夫訳)の中で、ゴダールが『勝手にしやがれ』(一九五九年)を撮影する前後ぐらいの一九五八年に、アレクサンドル・アストリュックという監督が撮った『女の一生』という映画について書いた文章の一節だ。 つまり私が言おうとしているのは、大部分の映画作家は、たとえかれらの映画の物語がどんなに大きい広がりのなかで展開されるものであっても、自分の演出を自分のセットの広がりのなかでしか考えていないということである。それに対してアストリュックはどうかと言えば、彼は反対に、シナリオが必要としている地域の全域、それより広くも狭くもない全域において自分の映…