NHK紅白歌合戦

NHK紅白歌合戦 えぬえいちけいこうはくうたがっせ テレビ

NHK紅白歌合戦
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目次
  • NHK紅白歌合戦とは
  • 紅白の歴史
    • 第51回〜第60回
    • 第41回〜第50回
    • 第31回〜第40回
    • 第21回〜第30回
    • 第11回〜第20回
    • 第1回〜第10回
  • 紅白の初出場者
    • 第1回〜第10回
    • 第11回〜第20回
    • 第21回〜第30回
    • 第31回〜第40回
    • 第41回〜第50回
    • 第51回〜第60回

紅白歌合戦からのリダイレクト (リダイレクト元を編集)

1945年開始の「紅白音楽試合」を前身として、1951年に開始。白組(男性軍)と紅組(女性軍)に分かれて競い合うという簡単な趣向。日本レコード大賞と並んで大晦日夜の恒例番組となっており、誰が何を歌うのか、審査員には誰が選ばれるのか、小林幸子はどんな衣裳になるのか、大きな関心がよせられる。

以前は、「出場できることが歌手の名誉」と考えられた時期もあったが、近年視聴率が低下傾向にあり、1999年にアンチ紅白主義として知られている宇多田ヒカルがその出場を打診前に断ったことなどで明らかになった地位の低下が指摘されている。

2000年からは、BSデジタル(2003年からは地上デジタルも)においてデータ放送を使用して投票できる「紅白お茶の間審査員」を採用。

2002年には、脱演歌が図られ、童謡、民謡クラシックとジャンルからも歌手が選ばれた。

2004年は元チーフプロデューサーの制作費着服により、海老沢会長(当時)の去就にまで発展するなど紅白の番組運営がNHK全体への問題に波及。その為、出直し紅白として真価が問われた。その一環として世論調査の公表も行われた。

2005年は戦後60年にちなみ、視聴者からアンケート調査「スキウタ紅白みんなでアンケート〜」で聴きたい曲を募集。より幅広い年代に愛される紅白を掲げる。

ちなみに、2009年までの戦績は、紅組28勝白組32勝。2003年末時点では五分五分だった。2005年から2010年までは白組が連勝するなど、ひいき目な審査には昨今の問題になっている。

紅白の歴史

回数紅組司会白組司会総合司会
第62回NHK紅白歌合戦2011年井上真央阿部渉
第61回NHK紅白歌合戦(2010年)松下奈緒阿部渉

第51回〜第60回

    • 第51回(2000年) 48.4%と50%台を下回る。これ以降、50%台を維持できず。
    • 第52回(2001年) この年のリバイバルヒット曲「明日があるさ」でウルフルズRe:Japanが共演。
    • 第54回(2003年) わずか4分間ではあるが、裏番組視聴率で負けた。
    • 第55回(2004年) 視聴率が40%を下回り、史上最低記録を更新した。
    • 第58回(2007年) この回以降、応援合戦とアトラクションを廃止。
    • 第60回(2009年) 水樹奈々声優として初めて出場。

第41回〜第50回

    • 第41回(1990年) 現在の2部構成でやる。この年から常連歌手の持ち歌が増える。このころから50%台をキープする。
    • 第49回(1998年) 57.2%と平成では過去最高。

第31回〜第40回

第21回〜第30回

第11回〜第20回

    • 第12回(1961年) 会場が東京宝塚劇場に落ち着く。
    • 第13回(1962年) 第1回から出場した歌手がいなくなり、その年を彩る歌手の出演が目立つようになる。また、この年から宮田輝が白組の司会となり、長く親しまれる (紅組の司会は森光子)*4
    • 第14回(1963年) 江利チエミが紅白史上初の歌手兼司会で出演する。視聴率は81.4%と最高記録を作る。現存する最古の紅白の映像である。
    • 第15回(1964年) この年からカラー放送開始。*5
    • 第17回(1966年) 本土返還前の沖縄でも紅白が見られるようになる。
    • 第19回(1968年) 初めて総合司会を設けて、3人による司会となる。紅組の司会は水前寺清子、白組の司会は坂本九、総合司会は宮田輝
    • 第20回(1969年) 当時最多の16回出場の江利チエミが落選し、物議をかもす。また、紅白の裏番組テレビ東京(当時の東京12チャンネル)の懐メロ特番が視聴率11.0%を記録し、圧勝。紅白が69.7%だった。*6

第1回〜第10回

    • 第1回(1951年) 正月のラジオ番組の特番だった(第3回まで続く)
    • 第2回(1952年) 松島詩子が直前に交通事故に遭い、代役に越路吹雪を立てた。
    • 第4回(1953年) テレビ放送開始とともに会場を使おうとするが、正月で使える会場がなく、やむなく大晦日に開催。これが大晦日の特番の由縁となった。白組の司会は高橋圭三で第12回(1961年)まで務めた。(紅組の司会は水の江滝子)
    • 第6回(1955年)・第7回(1956年) 紅組に宮田輝 白組に高橋圭三で放送。視聴者の抗議で第8回(1957年)から紅組は女性が司会に
    • 第7回(1956年) 雪村いづみ急病のため、江利チエミが2曲歌うことになる。
    • 第8回(1957年) 会場に石原裕次郎が応援に駆けつける。



紅白の初出場者

第1回〜第10回

第11回〜第20回

第21回〜第30回

第31回〜第40回

第41回〜第50回

第51回〜第60回

*1森昌子は、2001年に紅白に再出演。2006年に復帰する

*2:1977年のビッグショーに出るまでNHKの番組に出られない状況が続いた

*3:第24回では、紅白の常連の島倉千代子ザ・ピーナッツ水前寺清子都はるみフランク永井三波春夫橋幸夫北島三郎などがヒット曲を歌った

*4宮田輝は、1968年1969年を除いて1973年まで白組の司会を務めた

*5:カラーでの映像の紅白は1970年から残っている。また、カラーの映像で完全に残っているのは1972年から

*6:第20回では、NHK懐メロを意識してか越路吹雪島倉千代子春日八郎フランク永井三波春夫などがヒット曲を歌った

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