商号:株式会社ギザ
本店:大阪市西区北堀江一丁目三番十七号
設立年月日:平成10年9月9日
目的:1. 音楽、映像等録音物・録画物の企画、制作、販売
2. 楽譜の出版
3. テレビ、ラジオ、映画、ビデオ及びコマーシャルフィルムの音楽制作
4. 広告宣伝物の企画、制作、販売
5. 著作権、原盤権、商標権、意匠権の取得及び管理業務
6. レコード原盤の企画制作
7. 不動産の賃貸業
8. 前各号に付帯する一切の業務
資本金:2000万円
役員一覧:代表取締役 海老原俊之(株式会社バーズハウス 代表取締役を含む関連会社数社の取締役を兼任)
取締役 長戸大幸(株式会社ビーイング 代表取締役を含む関連会社数社の取締役を兼任、2007年退社)
取締役 中西大輔(株式会社ザイム 代表取締役を含む関連会社数社の取締役を兼任)
取締役 松田千秋
取締役 豊田幸穂(元 代表取締役)
取締役 中島顕夫
取締役 市川孝之
取締役 岡崎 勉
取締役 曲手秀昭(第一制作部)
取締役 伊藤大輔
取締役 河内孝成(不動産担当)
監査役 石橋宏之
ビーインググループ社員数:約300名
関連会社:約80社
(2004年1月 現在)
長戸大幸が音楽制作会社Beingの子会社としてアンチ東京一極集中という思想信条で1998年9月、大阪・心斎橋に設立したレコードレーベル。
レコーディングスタジオを始め、ジャケットデザイン、映像、ライヴハウス施設(Hillsパン工場)など、音楽制作に関わる様々なセクションを有し、あらゆるジャンルのアーティストを多数輩出している。
毎年12月にはコンピレーションアルバム「GIZA studio Masterpiece BLEND」がリリースされる。*1
1997年、BEING内にこの年ZAIN recordsからデビューした小松未歩、辻尾有紗のためのレーベルとしてSpoonfulという大阪を拠点に活動するレーベルが誕生。1997年9月25日、Spoonfulは、Amemura O-town Recordsとして独立する。
その後、所属アーティストは小松未歩、辻尾有紗、椎名裕海の3人。
1999年、小松未歩がGIZAに移籍するまでリリースが行われていた他、
インディーズが主体で、MFTVでは「アメムラロックストリート」という番組を運営。
この番組は後に「アメロク」→「SO-HOT」→「hills音楽工場」と変貌を遂げていった。
1998年8月20日、GIZA Studioが発足。またGIZAビル内にインディーズレーベルGarage Indies Zapping Associationを持つ。
1999年2月10日、GIZA Studioからのリリース第1号として、New Cinema蜥蜴、sweet velvet、GRASS ARCADEがデビューした。
そして1999年3月、スーパースターライトコンテスト春大会では愛内里菜が優勝。
また4月10日、21日にrumania montevideo、4D-JAMがデビューしている。
なお、彼らは全てインディーズレーベルGarage Indies Zapping Associationから既に作品をリリース。
これらは当時ヒットチャートをにぎわせていたインディーズブームにのっとりBEINGが設立した、名目上のインディーズで
あり、純粋なインディーズとは異なる。
rumania montevideoは名探偵コナンのタイアップとあり、当時は、名探偵コナンタイアップ=必ずヒットという構図があり
スマッシュヒット、1999年のGIZA Studioを支えていった。
また5月に入り18日、Amemura O-town Recoredsから現役で活動していた小松未歩が移籍し、初シングルをリリース。
なお、辻尾有佐、椎名裕海に関してはデビュー早々、活動休止をしておりこの時点では既に過去のアーティストとなっていた。
そして6月に入り、WAG、cocottがインディーズでデビュー、またこの頃Garage Indies Zapping Associationはリリース活動を停止。同時にインディーズレーベルはTENT HOUSEとUNDOWNという2レーベルに移管。
この年のGIZAはrumania montevideoが稼ぎ頭であり、そしてWAGが名探偵コナンタイアップになったこともあり、2大勢力として
活動していた他、4D-JAM、GRASS ARCADE、sweet velvet、New Cinema蜥蜴もヒットはせずともある程度の活動の場が与えられていた。
とは言ったものの、まだ、当時はBEINGの最盛期時代からの他レーベルB-gram、ZAINといった勢力もまだかすかに生き残っており、
PAMELAH、DEEN、FIELD OF VIEW、WANDS、T-BOLAN、大黒摩季などに、ZARD、B'z、七緒香、秋吉契里、大場るかが活動。
GIZAの存在はBEINGではまだ、ほんの1つのレーベルにすぎない程度であった。
そして1999年10月、この年爆発的なヒットとなった宇多田ヒカル(デビューは正式には1998年ですが)を模倣し、全米での活動を
印象つけるためにMai・Kが全米デビューした他、WAGがデビュー、またYoko.B.Stoneも活動。
cocottに関してはインディーズのみで活動休止をしてしまっている。
そして1999年末にはMai・Kは倉木麻衣として日本デビュー。またインディーズシーンではこの年裏方デビューを果たしたAZUKI七、
岡本仁、BEING最盛期末期の1994年より活動している古井弘人、中村由利を有するGARNET CROW、そして北野正人がプロデュース、
近藤直行が率いるユニットJASON ZODIACがTENT HOUSEより登場している。なお北野正人はこの後GIZA及びBEINGを脱退、
その後AVEXへ移籍しday after tomorrowを結成した。またSSC秋大会では岡崎雪がオリジナル曲を歌い優勝している。
なおTVでは1993年より放映をしていた「NO.」「CD NEWS」というBEINGの看板番組が終了している。
年始は1999年からの流れでBEINGはrumania montevideoとWAGをプッシュしていたが、ここにきて倉木麻衣のデビューシングル
「Love, day after tomorrow」がじわじわとランキングを上げ、爆発的なヒットを飛ばす。
ここに来てrumania montevideo、WAGの2本柱の上に倉木麻衣がのし上がる。
また3月には前年SSC春大会で優勝をしている愛内里菜が当時のパラパラブームにのっとりデビュー、また当時最盛期であった浜崎あゆみを
模様したようでもある。更にはGARNET CROWもTENT HOUSEからの2ndアルバム「hopper-plazma」のリリースをキャンセルし、名探偵コナンの
タイアップによりGIZAよりメジャーデビューを果たしブレイク。
この頃、GRASS ARC.は活動を休止していた。
またNew Cinema蜥蜴は14公演にも上るツアーを慣行。sweet velvetはアルバムリリースののち、活動を休止する。
この後は倉木麻衣を中心として、GARNET CROW、そして後半には愛内里菜と次々とブレイクし、BEING最盛期を予感させるものであり
GIZAはBEINGのTOPレーベルとして台頭してきたのであった。
そして夏8月には「京都系アーティスト」をキャッチフレーズに、当時最盛期であった椎名林檎を模倣した吉田知加がデビューを果たす。
また、SSC春大会に出場していた長谷実果が秋にはヨーロッパのインディーズレーベルより、MIKA HASEがデビュー。
これは倉木麻衣を模倣して、アメリカをヨーロッパに切り替えた版であるといえる。
年末にはZARDディレクター寺尾広、HIP HOP司会でラッパーのキングオパール、新人森下知美からなりAZUKI七作詞提供の
Soul Crusadersがデビューしている。さらに岡本仁が岡本仁志と改名し、ソロデビューも果たしている。
ブレイクが多発し、好景気な中、2001年へと向かってゆく。
この年はまず1996年から放映されていたBEING番組「BOOMs」が終了し「メッチャE!」が放映開始している。「Being Music Fantasy」も終了している。
そしてこの年はブレイクした愛内里菜とあわせ、倉木麻衣、愛内里菜の2本柱、rumania montevideoやGARNET CROW、WAGはブレイク
当時ほどの勢いもなくなり、売上も落ち始めていた。
更にはnothin' but love、JASON ZODIAC、長谷実果、レモーヴェギャルソンヌ、タンバリンズ、DEAR RESONANCEと
次々デビューした他、rumania montevideoから三好兄妹が抜けたRAMJET PULLEYがデビュー。
新人は乱発するも、特別大きなヒットには恵まれず、倉木麻衣、愛内里菜の2本柱の活躍が目立った年であった。
松橋未樹、上原あずみのブレイクはあったが、これは名探偵コナンのタイアップによる効果が大きい。
なお倉木麻衣は初のツアーを夏に行い大成功を収め、愛内里菜はクラブサーキットツアーを慣行している。
4D-JAM、New Cinema蜥蜴、吉田知加、Soul Crusaders、岡本仁志に関してはこの年もヒットには恵まれることはなかった他、
タイアップも満足に与えられない状況であった。なお、大野愛果も自らデビューしている。
SSCでは菅崎茜が秋大会で優勝を果たしている。
年末にはパン工場がOPEN、女性ボーカリストによるカバープロジェクトR&B Respectも開催されている。
この年、GIZAが大幅に動くことになる。まず、アーティストの大量リストラや活動休止が相次ぐことになり、
これまでのアーティストたちの大半が消えゆき、GIZAファン層もこの年一気に入れ替わったといっても過言ではない。
既に2002年初頭は活動のきざしすら見えない4D-JAM、Soul Crusaders、長谷実果、レモーヴェ、nothin' but loveは半ばまでに活動休止に追い込まれ、またかろうじて2002年活動を行っていたNew Cinema蜥蜴が解散宣言、吉田知加、JASON ZODIACは2002年夏までに活動を休止した。
なおDEAR RESONANCEは山口裕加里が後にデビューすることになった。
この年のデビューアーティストは、元メッチャE!レポーターの三枝夕夏 IN db、元アメロクレポーターの北原愛子である。
またSSCでは滴草由実、竹井詩織里が登場している。
この年は年始と末に倉木麻衣のツアーが行われた他、愛内里菜やGARNET CROWもツアーを行っている。
更にはHOTROD BEACH PARTYなども開催されている。
2002年でのアーティスト活動休止によってできた空白を埋めるように新人アーティストが次々とデビューしていく。
菅崎茜、滴草由実、山口裕加里、岸本早未である。
更にパン工場ライブも始まり、新人達の活動の場が増えていくことになる。
更にはRAMJET PULLEYが活動がなくなり、事実上ほとんど活動していなかったrumania montevideoも夏までに活動が完全に途絶えてしまった(事実上の解散)。上原あずみも活動はほとんどない状況であるが、僅かながらライブやブログなどを続けていた。
この年くらいから倉木麻衣、愛内里菜の2頭身時代からGARNET CROWも加わった状況となってゆく。
そんな状況ではあったが倉木麻衣、愛内里菜もかつてほどの勢いを失ってきている状況であるといえる。
また名探偵コナンのタイアップ効果も薄れはじめていた。そのため新人にも爆発的なヒットはなかった。
なおGIZA以外のBEING勢力も、かつて活躍した、FIELD OF VIEWが解散、DEENが余儀なくBEINGを離脱することにより、事実上、GIZA以外で大きな活動を行うのはZARD、B'zのみとなっていた。
なお、パン工場で活躍している竹井詩織里がTENT HOUSEよりデビューしている。
この頃から仁義なきリストラは減少しつつある。
しかしこの年はWAGが年末頃までにほぼ会報のみの活動になり、また山口裕加里が活動を休止する。
しかし新人の乱発はこの年も健在で、竹井詩織里に、アブリルを彷彿させる高岡亜衣、日韓ブームに乗ったJEWELRY、
Beingには珍しいJAZZシンガー青紀ひかり、アーティスト路線ではなくアイドル路線を強調したスパークリング★ポイントと5アーティストがデビューしている。またnothin' but loveから1年である大賀のユニットoomもデビューはせずとも姿を現している。
それ以外にもパン工場を中心に北空未羽、上木彩矢などを中心にデビュー予備軍が大量に出てきている。
この年もヒットアーティストを残すことはできず、相変わらず倉木麻衣、GARNET CROW、愛内里菜が稼ぎ頭になっている他、
小松未歩が多少の売り上げをあげるのみとなっている。
更には倉木麻衣、愛内里菜は失速気味、GARNET CROWがかろうじて現状を保つ状態となってしまった。
年間TOP100には倉木麻衣の「明日へと架ける橋」が97位。00年代初頭の売上を考えると勢いが無くなって来ている。
また、doa、シカゴプードルらはNEO GENERATIONレーベルより作品を発表している。シカゴプードルに関してはTENT HOUSEからも
デビューしている。
年始には女優岩田さゆりが歌手デビュー、またYOKO Black.StoneもYOKO Blaqstoneと改名し、アルバムをリリースする。
上木彩矢が5月に新たなインディーズレーベルよりデビューした他、OOMがNEO GENERATIONレーベルより楽曲を発表している。
またTENT HOUSEからはひなたも登場している。
なお、この年もいまだ新たなブレイクはなく、稼ぎ頭は変わっていない。
上木彩矢がメジャーデビュー。宇浦冴香が歌手デビュー。B’z絡みの作品で注目を集める(後者は2007年)。doaのシングル「心のリズム飛び散るバタフライ」がロングヒットとなり注目を集める。愛内里菜、三枝夕夏がアニメ「名探偵コナン」の主題歌を歌うためのコラボレートを敢行し、更には、JAM Projectらとのコラボレートシングルもリリース。
碧井椿がデビュー。倉木麻衣、スパークリング☆ポイントが東京のレーベル「NORTHERN MUSIC」に移籍。ジャズ部門「GIZA JAZZ」を設ける。
元小悪魔agehaモデルの白石桔梗(現:白石乃梨)、Naifu、碧井椿率いるPINC INCがデビュー。岩田さゆりがベストアルバムリリース以後はGIZAとの契約を終了。竹井詩織里、岸本早未、小松未歩が芸能界を引退。
OOM、Naifu、PINC INC、the★tambourinesが解散。高岡亜衣が活動休止、上木彩矢のエイベックス移籍などと迷走期に入る。一方で、さぁさ、Chicago Poodleがメジャーデビューを果たす。BREAKERZ、B’z、倉木麻衣が前年以上のヒットをしていることからVERMILLION、NORTHERNの東京側が勝ち組という結果になった。この時期からGIZA studioの衰退化と揶揄される。
GIZA ARTISTの代表である斉田才らがロック専門レーベルD-GOを設立。斉田才はgrramを、長戸大幸はなついろをプロデュースする。
アメリカ村にRozetta Cafeを設立。10月1日、ビジュアル系レーベル「Rozetta」「CRIMZON」を設立。