1998年、ナルシソ ロドリゲスが設立したブランド。
ナルシソ ロドリゲス(Narciso Rodriguez)は1961年、アメリカのニュージャージー州生まれ。両親はキューバ人。
パーソンズ在学中、当時、アン クラインで働いていたダナキャランのアシスタントとなる。その後カルバン クラインでレディースウェアのデザインを担当。
95年からセイ(TSE)でメンズ、レディース双方のデザインディレクターを担当。96年、ケネディJr.のフィアンセ、キャロリン・ベッセット=ケネディ のためにウエディングドレスをデザインしたことで名が知られる。1997S/Sから2シーズンはイタリアのブランド、セルッティのディレクターを担当。 97年米ヒスパニック系協会のファッションデザイナーオブザイヤーを受賞。98年にはペリー エリス賞を受賞。
1998S/Sから、イタリアのアエッフェ(AEFFE)ファッショングループと契約。イタリアのミラノにて自身の名を冠したブランド「ナルシソ ロドリゲス」を発表。(アエッフェ社はアルベルタ フェレッティ率いるイタリアのファッション企業。)
1998A/Wから2002S/Sまで、スペインの老舗ブランド、ロエベのクリエイティヴ・ディレクターを務める。ロエベのデザイナーは2002-2003A/Wよりホセ エンリケ オナ セルファに後を譲り、欧州ではなく、ニューヨークでオリジナルブランドのデザインをすることを決意。
2001A/Wより、自身のブランドでニューヨークコレクションに参加。2005年には、メンズラインをスタート。2002年、2003年と2年連続して、CFDAアワードのレディスウェア部門を受賞。これは歴史上初の快挙であった。
2007年、アメリカのアパレル企業リズ クレイボーン社がナルシソ ロドリゲス社の株50%を獲得。株式買収の真相に関しては明らかではないが、アエッフェ(AEFFE)グループの元で自身のブランドの売上が不調であり、ナルシソ ロドリゲスは、あらたなスポンサーを探していたと言われている。
2008年、リズクレイボーン社との提携を解除し、自社ブランドの株を買い戻す。提携解消の理由としてはブランド間の共通点が少なくシナジーが生まれなかったため。
ナルシソ ロドリゲスの特徴はラテンの魂に、アメリカ特有の実用的なテーラリングを基盤としながらも、ヨーロッパのアート的なテイストを持ち合わせている点。これはヨーロッパのブランドのデザインを担当して培ったもので、オートクチュールのコレクションには多くのインスピレーションを受けるという。クラッシックなスタイルでありながらもモダンなものを求めてデザインを続けている。
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